こんにちは、坂本です。
今回は「未来のEC」について、少し考えてみたいと思います。未来のECはどうなるのか。それを受けて私たち中小企業はどのように考え、どうすべきか。みなさんの参考になれば幸いです。
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はじめに
前回のおさらい
前回2016年に、「未来のEC」というテーマで記事を書きました。
前回の記事は、一言で要約すると、「配給型ECが、流通の大勢を占めるだろう」という予測でした。多くのユーザの過去の購買傾向や趣味嗜好・行動履歴といった巨大なデータに、AIを使った高度な分析・予測が掛け合わさることで、販促や物流や生産などなどで「摩擦係数ゼロ」の圧倒的効率化が起こり、欲しいものが適量生産され適時に手に入る・・ような世の中を想像しました。これを「配給システム」に例えました。高度な社会的インフラです。その座を奪い合って、大手VS大手の血みどろの戦いが起こります。
一方中小企業が狙うべきは、これら「配給型」と真反対の需要ではないか・・とも想像しました。なぜなら、圧倒的な便利が手に入ると、人は「不便を求める」。都市で生活していても、田舎に旅行に行きたくなるような感じです。中小企業は後者の需要を目指すべきで、色々考えながら立ち位置を調節していくべきだろう・・と言う仮説を立てました。以上が前回のお話しです。
要約してもよくわからない話ですね。うーん詳しくは、前回の記事をご覧ください。
前回を振り返って
さて、前回から1年が経ちました。どうだったでしょうか。
配給型ECについては、概ね予想通りだったように思います。特にアマゾンの動きはわかりやすかった。AmazonのPrimeNowはご存じですか。CMバンバンやってますね。個人的にも何回か使いました。すんげえ早く届きます。通販じゃなくて宅配です。ダッシュボタンもついに日本に上陸。個人的には微妙な使い勝手でしたが。人工知能や機械学習に関する話題も、一気に増えました。その他色々。配給システムが生まれつつある感じがしますが・・運送会社のドライバーさんが心配ではあります。未来は機械化されるのかな。。
一方、非配給型ECはどうでしょうか。大手モール(RとY)について、上記文脈での動きはなかったように思います。たとえば楽天がクラウドファンディングサービスを買収してポイントと顧客DB使って新商品企画を支援したりしたら面白いなあと思ってたんですけど。大手と店舗が一緒に仕事したり。面白いことしてほしいなあ。
個々の中小EC事業者の動きについては、大企業ではないのでまとまって大きなニュースにはなりませんが、新しい潮流を色々と感じています。弊社でもそんなテーマでセミナーを開催しました。今年は、更に増えるように思います。このあたりの話はまたいずれ紹介します。
で、今回は、以下について語ります。
- 1:未来のECを考えるには、未来のお客さんを理解すべき。だから「これからの消費行動の変化」について考えてみます。
- 2:それを受けて私たち中小企業はどのように考え、どうすべきなのか、(ざっくり)考えてみます。
これからの消費行動
消費者の「貴族化」
「消費社会の神話と構造」という本があります。ボードリヤールというフランスの社会学者が書きました。内容を超約すると「ハーレーダビッドソンを買う人は、バイクの機能を買っているのではなく、ワイルドで力強いセルフイメージを購入しているのだ」みたいな趣旨のことが書いてあります。モノの実体ではなく、記号(意味)が購入されている。
あー、はいはいと思いましたよね。ただ、これ、いつの本だと思いますか。1970年です。半世紀前!その頃から買い物には、「モノの背後にある何かを買う」という側面があったわけですね。まあ考えてみれば、江戸時代でも、もっと前でも、そういう側面はありましたが。
で、現在は、1970年と比べ、モノの価値が更に(相対的に)下がり、一方でSNSにより自己表現欲求が高まっているように思います。結果、パンケーキを食べるためではなく、「Instagramにアップするためにパンケーキを食べに行く」と言う現象が起こるわけです。これを「インスタ映え消費」と呼びます。Instagramにアップするのは、何がしかの自己演出が目的です。その意味ではハーレーと同じ。
というわけで、こういう「インスタ映え消費」は、突然変異的な消費スタイルではなく、「従来からの方向性に更に拍車がかかった」とみるのが妥当でしょう。人間の本質は変わらない。環境変化によって、人間の特定の側面が強化されたり弱化されたりするわけです。なので、環境変化を予測し、人間の本質に基づいて洞察すれば、未来が見えるのではないかと考えます。
今後起こるだろう環境変化は、配給型ECの進化に伴って、(更に)モノの価値が相対的に低下、贅沢のコモディティ化、自意識・自己重要感の高まり、生活の合理化(による余剰時間の増大)・・です。つまるところ、「消費者の貴族化」と言えるのではないでしょうか。
※さすがに誰も誤読しないと思いますが、念のため書きます。ここでいう貴族とは、富裕層という意味ではありません。一般人が貴族化するという話です。
リアル貴族の行動
貴族は、ヒマです。人類は、原始時代は、1日中労働していました。時代が進み、農業が導入され、道具が進化し、労働時間が減ると、生活に余裕が生まれます。特に王族や貴族など特権階級は、生産に携わらないことで、とてもヒマになります。人生に余白が生じます。「人生の余白」を埋めるために、「何か」をします。
まず、贅沢をします。すぐに飽きます。次に、遊びます。文化は貴族の周辺で発生します。和歌とか蹴鞠とか。次におしゃれをします。十二単的な。飽きたら哲学者になります。古代ギリシアでも古代インドでも、ヒマな特権階級が哲学を生み出しました。そして不老不死の追求。始皇帝が中華を統一したら暇になったので「不老不死の薬」を探させました。あと何かを研究したり戦争したり建造したり。この世の多くのデカイものは、その発想自体がヒマの賜物であるとスチャダラパーも言っています。
そんな感じで、暇になった貴族はいろんなことをします。
未来の消費者も、多分同じです。
貴族的消費者の需要
では、現代人が貴族化すると、どんな消費行動をするでしょうか。
現代というか未来の消費者を貴族に見立てると、このあたりに需要があるのではないかと想像します。
自己表現としての消費
例の、Instagramとパンケーキ。人はパンケーキのみにて生くる者にあらず。セルフブランディングを買っているのである。なので、「自己表現・演出を支援する商売」が成り立ちそうです。
この「自己表現支援」は、内面と外面の2つのアプローチがあります。まず外面アプローチ。あなたはもっとこうなれる、こういう自分に近づける、こういう演出ができる・・といったプロデュース的な支援です。昔からありますけど、技術の進歩で、今ならではの形にできそうです。
内面アプローチは、たとえば「自分が何が好きか」を表明する。これだって一種の自己表現です。だから「○○がスキ」という表現を支援。「分かり合える相手と共有する」同士コミュニテイの形成もそう。
そう考えると「自分が何が好きか知る」のは、より上質な自己表現に至る道筋でしょう。であれば「こういうの好きなんじゃないですか?」と提示して問い、己を知ることを手伝い、その表現を手伝う・・といったあたりにも、商売の種があるかもしれません。
生きがいになる「チャレンジ」
脳の仕組みとしては、何か目標を立てて、それが達成されることが、ドーパミンが出て生きがいにつながるそうです。合理的な意味や収入に直結しなくても、「何かに挑戦し達成する」それ自体に意味があるわけす。生活に困窮してる人はそんなこと言ってられませんが、贅沢にすら飽きている貴族からすると、このチャレンジこそが渇望している刺激です。生涯教育、習い事、スポーツがここに当てはまるかと思います。
「学ぶ」だけでなく、「教える」のも生きがいになりえます。情報技術の進歩により、教室を持たなくてもフリースペースの確保はしやすいし、生徒さんとの予定の調整もしやすいし、宣伝もしやすいし、「先生になること」へのハードルはかなり下がってきた感じがします。「先生を束ねる」アプローチもありますね。
習い事をする人、上達したい人、上達させてあげたい人、教える人・・に向けた支援が何かできないか。
「意義ある目的」に参加する
何か大きな価値あることの一部として貢献したり同化したりできれば、自分の人生に意味を感じられるようになります。社会的に意味があること、誰か人が喜ぶこと。そういったことに参画することで、単なる消費ではない喜びを得られます。
その過程でモノやサービスがあるわけですが、でもこの文脈における本質は「大義」です。いわゆる社会起業やそこへの参画がここに当てはまりますが、既存の商売でも「内在する大義を発見して表現する」ことで、支持者が得られる場合もあるかと思います。たぶんフェアトレードなどの「エシカル消費」もここに含まれます。(最近エシカル消費という概念を知りました。面白いです)。
ライトに応援する人から、軽く参加する人、ディープに参加する人まで様々な度合いで関われるといいですね。お布施、在家、出家・・みたいな。
不老長寿の追求
途端にアレな感じになりましたw
前述した意識の高い参加活動と違って、自己中心的な欲求ではあります。
が、これは本能が求めることですし、高齢化社会になって皆長く働かないといけなくなってきましたし、高齢出産の場合は親が元気でありたいものですし、事業主は長く商売する必要ありますし、あとまあ単に長生きではなく元気に長生きしたいわけで、需要は高まる一方です。
商売としては、健康・美容関連商品といった直接的なものだけでなく、「不健康な習慣を避ける」ことの支援サービスあるいは代替商品の拡充といったところにも市場が生まれそうな気がします。そういえば「低糖質」は本当に広まりましたね。
手触りを確かめる
想像してください。王子様が、玉座だから降りてきて、畑に入って泥にまみれることで、自分の食べ物はどう作られているか、人々はどう生活しているか、それを踏まえて自分の王としての仕事が何か・・を考えている姿。うーんいい王様になりそうですね。
現代は、情報は何でも手軽に入り、すぐにわかったような気持ちになります。一方で手触りや生の体験が置き去りにされているところがあります。貴族と似ています。
そういう人は、いまの生活が作り物や「与えられたモノ」のように感じられるので、畑に入って手触りを確かめたり、食べものや道具を手作りすることで「自分を介在」させます。それによって生きる実感を取り戻そうとしているのではないでしょうか。いまの若い子は、地方を面白く感じるそうで、たぶんそれも似た現象だと思います。作り物ではなく本物に触れたい、本物な人に聞きたい、といった需要もありそうです。
ちなみに、18世紀のフランスで、かのマリーアントワネットは、莫大な予算を使ってわざわざ「農村のような庭」を造らせています(小トリアノン宮殿の中にあるこれとかこれ)。クリックしてみて下さい。宮殿なのに、どうみても村!レジャーとしての田舎暮らし、というのは、こんな昔からあったんですね。ただ残念ながら彼女はリアルな庶民と触れあう機会はなく、反発した人々が革命を起こしてしまいました。リアルな農村に滞在していれば違う結果だったかもしれません。本物って大事ですね。
サービスに手間を掛け、対価をもらおう
これらの話は、物販というよりサービスの色が強いですね。手間だと思いますか?もしそう思うなら、サービス=オマケもしくはコスト、だという感覚が染みついているかもしれません。物販の人は、モノでお金をもらってきたので、「サービス=無料」だと思ってしまいがちな気がします。
特に貴族的なお買い物は、モノが動くにせよ、価値の実体は、モノではなくサービスやお客さんの感覚の中にあります。大事なポイントは、それが「多少割高」でもかまわない、という点です。商品それ自体は大したことがなくても、「感じ」が良ければ良い値段を取って良い。そう感じない人は買わないだけ。このへんは、バブル世代の方は感覚が優れているような気がしますw OKバブリー!
サービスは、それが求められているものなら、原価ゼロ円でも、高値をもらうだけの価値があります。なので、サービスを手厚くして、その分お金を貰えばいいんだと思いますよ。相手は貴族なので、「安い方が相手に優しい」という先入観をもたないように注意しましょう。
価値の逆転が「貴族的需要」を生む
こういった「貴族的消費」には、他にも色々あると思います。どれも、不便を好んだり、遠回りの道を選んだり、割高なものを求めたり、やってもらえばいいのに自分でやってみたり・・・ある意味、価値が逆転しているようなところがありますね。
ただこれは、貴族の道楽のようでいて、経済の原則に沿っているんです。つまり、モノや情報が溢れて、希少性が下がると、その価値はゼロに近づきます。一方、体験や感覚や学びや成長は、コモディティ化しづらいので、価値が下がりにくい。
こういった現象を貴族と言う枠組みで捉え直すとわかりやすいので、今回このような紹介の仕方をしてみました。「溢れるモノや便利さに飽きた貴族が別の何かを求める」わけですね。
※わかりやすくするために「暇な」貴族という表現を採りましたが、貴族には、生活に汲々としていない分、高潔で、理想や規範意識が高いという側面もあります。リアル貴族にはノーブレス・オブリージュという言葉がありまして、これは、我々貴族は人々の見本として一般人より高い倫理意識を持とうね、的な意味です。今の若い子は軽々に社会貢献的なことを言いがちで、昭和のおっさんとしては時々違和感を感じたりしますが、その子を「若くて意識高い貴族(オスカル・ド・フランソワ的な)」だと見立てると、ちょっと未来に希望が持てたりします。
我々はどうすべきか
ここまで抽象的な話をしてきました。
現実に戻って、じゃあどうすれば良いのかということについて、少し考えてみたいと思います。
時間を作る
以前もこのブログで似たようなことを書きましたが、「新しいことをやろうにも今の事業で手一杯で余裕がない」と言う方が、とても多いようです。
しかし新しい何かをするためには今の事業を整理し、効率化し、余力を作る必要があります。これからの時代の変化を考えたときに、「余力がなくて身動きが取れない」というのは、とってもまずい状態である事はご想像いただけるかと思います。
なので、今以上に圧倒的に業務改善について考えることをお勧めします。効率化しないままスタッフにぶん投げている方もいらっしゃるかと思いますが、将来的なリスクになりますので、やっぱり効率化していただきたいです。
まあ弊社もバタバタなのですが、色々やりたいことが多いので、いま一生懸命改善しております。
手元にあるものを使う
新しい売り物を作るといっても、大変ですよね。
でも、既存の商品やサービスの見立て、見た目を少し変えるだけで、新しい売り物になったりします。転用すればいいので、手間やコストが少なくて済みます。この考え方は以前別の記事でも書きました。例えば、パン屋さんが、「パンにする前の材料」を袋に詰めて「プロと同じ材料でパンを作ってみようセット」として売るようなイメージです(あくまでイメージです)。
手持ちのネタを少し調整するだけで「貴族向け」の商品やサービスになるかもしれません。原材料に限りません。バラ売りしたり、まとめ売りしたり、売り物じゃないものが売り物になったり、色々あり得ます。
長くなりました。まだ色々書けることがありますが、今日はこの辺で一旦締めます。続きはまた後日。
終わりに
考え続けるのが大事
よくわからないことをあれこれ書きました。まあ、今すぐ時代が変わるわけではないと思います。
しかし、去年と一昨年とで、結構変わりましたよね。今年も色々変わるでしょう。そして、それは元に戻る事はありません。じりじりと、しかし着実に、世の中が変わっています。
いますぐ何かできなくても、せめてアンテナを立てておくこと、スイッチを切らないことが大切だと思います。諦めずに考え続ける姿勢、いわば「思考のスタミナ」を大切にしたいですね。
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今後も頑張ります
今後は、既存のサービス以外に新しいサービスもはじめたいと思っています。これについてもメルマガでお知らせします。
それでは、長くなりましたが、今後もどうぞよろしくお願いします!
PS
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カテゴリー: ECの未来