なぜ、人の性格は「それぞれ違う」のか?偏った性格を仕事に活かすには

こんにちは。坂本です。

今回は、「自分の性格」の意味を捉え直すと、だいぶ気楽になって、仕事が捗るよ!という話。日頃から「もっと自分が○○だったらなあ」なんて思っている方、お読みください。

私達はECコンサルという仕事柄、色んな人と話します。その一環で、「壁打ち」と称して「いろんなおしゃべりをしながら状況整理する」ときがあるんですが、話が深くなると、だいたい必ず「自分の性格」の話が出てくるんですね。仕事では、つい○○が苦手で避けちゃう・・○○が気になって力を入れすぎるんだよねーとか。

そんな自分の個性を、否定せずに自己観察して「自分の扱いに慣れる」と、仕事がだいぶスムーズになるんじゃないかなーと考えております。そんな話。

なぜ人の性格は「それぞれ違う」のか?

ヒトの性格は様々ですよね。「座っていられないほど行動的」でチャレンジ精神旺盛だったり、「他人の微表情から意思を読み取って先回りしてしまう」ほど臆病で繊細だったり、「集中すると何も聞こえなくなる」ほど自分の世界に没頭したり。

人間だけでなく、ペットなどの動物でも「個体差」はありますね。人懐っこかったり、ビビリだったり。個体差って不思議。

なぜ、生物には個体差があるのか?なんで性格がこんなにバラバラなのか?

動物の個体差・性格の違いは「役割分担」

と疑問に思ってたら、ある本と幾つかの記事に答えが載ってました。「種全体が生き残りやすくなるために」性格がバラついているのではないかとのこと。

たとえば、ヒトでも動物でも、超敏感な個体が一定数います。「敏感タイプ」の存在意義は、「環境の変化や隠れた脅威に反応することで、集団全体が危険にさらされる前に警鐘を鳴らす」ことなんだそうな。敏感な個体には「種の生存のため、皆に危険を知らせる役割」がある。

これを人間に当てはめると・・

たとえば、皆が様子を見ている中で、真っ先に危険に突っ込んでいく、ヤバイくらいチャレンジングな人がいるとします(いますよね)。この人は、誰よりも先に突っ込んで「みんな!割と大丈夫だよ!」を群れ全体に示す役割があるといえます。

あるいは、反対に「ものすごくみんなの様子を見ていて黙っているけど頭の中で色々気にしている人」もいます。良いタイミングでそっと何かを差し出したり、気にしすぎて具合が悪くなったりします。この人の鋭いアンテナは、他の人から見えないギスギスや対立を真っ先に感知することによって、「群れの安全に貢献」しています。

他にもいろんな性格があって、それぞれの個体が、それぞれの形で群れの生存に貢献している。ヒトを含め、動物はこのように(神様によって?)設計されている。

そう考えると、「持って生まれた自分の性格」は「種の存続のために、自分に割り振られた役割(ミッション)」って言えますよね!だから、どんな性格にも必ず存在価値があります。その性格は、あなたの役割なのです。

個性のバラつきが「分担」を生む

進化の歴史の中で、ヒトはサルと同じように、群れを作って暮らしてきました。ヒトは「社会性動物」です。魚が水の中に棲んでいるように、人は社会の中に棲んでいます。

文明が始まり、群れはムラへと変わりましたが、ムラの中で生きるにも社会性が必要です。だから、動物として標準的なヒトは「社交的」です。(あくまでも傾向です)

だけど、そうではないヒトもいますよね。たとえば、愛想が悪く、まわりを一切見ないで「没頭する」人とか。そんな「たまにいる変な人」が、世の中を変える何かを発見したり、成し遂げたりもします

ただ、村人が変な人ばっかりだったらムラは崩壊するので、神様の采配によって、「変な人の発生率」は低めに設定されております。レアキャラです。

ちなみに私も若干?レアキャラです。空港で集中して本を読んでいたら飛行機に乗りそこねたり、集中して土産物を選んでいたら高速バスに置いていかれたり、電車については基本的に乗り過ごすので降りる時間に合わせてAppleWatchのタイマーを掛けます。40過ぎてこれなので、社会的にはヤバイですが、没頭癖のおかげで実現できることもあるわけです。

なので、子供の頃から自分は若干ヤバイ人だよなあと思って生きてきましたが、26歳のときに楽天株式会社に入社して気づきました。どうやら、楽天に出店している中小ECの経営者は、自分以上に偏った、レアな人が多いのです(と思ったのです。あくまで主観)。そして社会的に意義のある役割を果たしています。これはヤバイ。そっち側に行ってみようと思って楽天を退職して独立して今に至ります。

私は「没頭して周りが見えなくなる」レアキャラですが、弊社の川村は、「周りが見えすぎて疲れる」レアキャラです。一見、普通(社交的)に見えますが、人の様子や集団の空気に対してかなり敏感で、推理能力が高い。私からすると背後霊か何か見えてるんじゃないかと感じます。「他人の会話が聞いていないのに耳に入ってきて脳内で自動分析が始まる」ため、「外で一人でお茶などしても全く休まらない」と言って割と引きこもっています。大変ですね。でも、だからこそできることもあるわけです。

ということで、個性のバラつき=個体差が、役割分担を生み、群れ・組織・社会の可能性を広げる。と言えそうです。多様性バンザイ。

ただし、個性のバラつきは「対立」も生む

ただ、「個性のバラつき」は、いいことばかりではないのです。

  • 「いやーこういうときは普通こうだろう」
  • 「いやー普通こうでしょう」
  • 「お前おかしいぞ!」「お前こそ!」

そう、個性が違うと、「普通」も違います。

それぞれ違った性格で、違った環境で、違った人生を送ってきているので、常識や普通は違うんです。たとえば坂本からすると「飛行機に乗る前に、タイマーを掛けずに本を読んだら普通乗り損ねます」・・普通なんですが・・あまり理解してもらえませんね。

お互いの「普通」を主張しても、永遠の平行線。わかりあえません。それが対立を生むこともありますよね。そのままでは戦争になってしまう。

対策としては、何があるでしょうか。

  • ムラのルールを作って円滑に
    • ヒトの集団は、個人の感覚差を乗り越えて、共同生活するために、掟が必要です。「ムラの掟(ex.祭りは全員参加)」とか「我が家のルール(ex.便座は下げる)」とか。数多くの争い、流血、悲しい歴史を経て、「便座を下げる」というルールが生まれ、平和になります。
  • 共同作業には「標準化」が有効
    • 昔の日本には標準語がなかったので、江戸含め「全員が方言」なので、なかなか会話が大変だったかと思います。標準語を設定することで情報伝達が円滑になりました。
    • ECサイトを運営する場合でも、標準となる業務手順や業務方針(ex.こういうクレーマーは普通のお詫びと別基準で対応しましょう)を決めておくことで、職場が円滑になります
  • 漢方的だけど一番大切なのが「内省と対話」
    • 自分にはどんな偏りがあるだろうか・・と内省する。自分の偏りや得意不得意・好き嫌いを、お互いに開示して、対話する。「腹を割る」。
    • 昔は酒の席でこれがなされていたと思いますが、酒が回ると「何を話したかよく覚えてないけど通じ合ったつもり」でズレっぱなしになるので、日中にやったほうがいいかもしれません。

ということで、人の個体差を放置すると「普通が違う」ので話が噛み合わなくなる。群れが成り立たなくなる。

だから、個性を尊重しつつ群れで生きるためには、「掟」や「標準」も大切なのです。

「標準」と「個性」が両立すると「進化」が起こる

ただ、掟や標準には「個性を抑圧する」副作用もあります。

人間の振る舞いはこうあるべきだ、男は・女はこうあるべきだ、物事はこういう風に考えるべきだ、これが常識だ・・など。

すると、変な人は、そこからハズれます。

本来なら群れの中でレアキャラとして重要な役割を持っている「変な人」が排斥されてしまう場合がある。そういえば、昔からECやってる人は、曰く「地元では浮いてる」という人が妙に多いようです。

協働のために生まれた「標準」や「掟」と、重要な役割を持っているはずの「変なレアキャラ」が対立する・・本末転倒ですね。よくあることですけど。

本当は、「変な人」は、「標準」にとっても必要なのです。「標準を逸脱した個性」は、老朽化した標準が崩壊する前に、これを打破し、「新しい標準」を見つける・生み出す可能性を持ちます。

つまり、標準と個性は、対立しながらも相互補完関係にあります。

実際、いまやECが当たり前になった世の中ですが、この当たり前を作ったのは「地元で浮いてた人たち」です。

そして、標準と個性の両立によって「群れとしての進化」が生まれます。
これ唐突な話なので、少し補足しますと、ダーウィン的な「進化」は何万年単位の長い時間がかかるので、急な環境変化には追いつけません。だから生物は、「個体差」によって短期の環境変化に対応しているんだそうです。「個体差を生かした分担」による群れのパワーアップは、「短時間で起こせる進化」なんですねー。

我々はどうあるべきか

ここまでの話をまとめつつ、これからの仕事のやり方について考えてみます。

ここまでのまとめ

  • 生物に備わった「個体差の意味」
    • ヒトは、動物と同じように個体差=性格の違いがある。
    • 個体差に由来するそれぞれの行動(ex.挑戦的・保守的)が、群れの存続に貢献する
    • だから個体差・性格の偏りは「群れの中におけるその人の大切な役割」。
  • 共同生活を可能にする「掟と標準化」
    • 個体差に由来する「普通感覚のズレ」が争いや空回りを生む。
    • 対策として「標準」「掟」が生まれる。
    • しかし、標準には「レアキャラ」を抑圧する恐れがある
  • 標準と個性(役割分担)による「小さな進化」
    • 「標準」と「個性」は、対立するが相互補完関係にある。
    • たとえばレアキャラは老朽化した標準を打ち砕く力を持つ
    • 「標準」と「個性」の両立が、群れの「進化」を起こす。

個人としては「性格に合った働き方」をしたい

といったことを踏まえつつ、私達はどんな感じで生きてくのが良いのでしょうか。

まず人間は社会性動物なので、魚が水から出たら死んじゃうのと同じで、ヒトも社会とつながらずに生きていくことはできません。で、あなたの性格の偏りは、何かの役割(ミッション)があます。同時に「何かの領域では誰かの助けが必要」ということを意味しています

元々備わっているものなので、あとは、認めて受け入れて、自覚するかどうか。

自分の偏りは、早めに自覚しましょう。強みや好みは自覚して活かす。弱みやキライは、変に我慢しないで誰かにカバーしてもらう。あるいは、やらなくて済むように全力で工夫する。自分の性格と喧嘩しちゃいけない。

で、自分にあった役回りを考えて、そこで群れに貢献すると良いですね。

そういえば先日の打ち合わせで、ある人曰く「自分の周囲はゴリゴリな人が多く、自分はゴリゴリ行くタイプではないけど、『ゴリゴリな人が取りこぼすところを拾う』ことで貢献できると思う」と仰っていて、まさにそんな感じです。リーダー職でもマーケ担当でも社長業でも、その人の性格を活かす「いろんなスタイル」があっていいはずです。以下、参考記事です。

冒頭書いた「壁打ち」をやっていると、自分を責める人も多いですけどね。「自分はアイデアばっかり広げて風呂敷がたためなくて・・」とか「自分はテクニックばかり得意で発想が小さくて・・」とか。面白いことに、売上好調な人でもそうなんです。

まーでも人は誰しも歪んでいるので、「歪みを自覚」したら気が楽になりますよ。歪んでいるのに「自分は歪んでない、正しい」を押し通すと、逆に「老朽化した標準や掟をゴリゴリと押し通してくる」とか「SNSでなんでも論破してくる」嫌な人になりかねません。それでは、「自分と違ったヒト」と助け合うことができません。

私は何しろ前述の通りヤバいレアキャラなので、偏りと歪みの自覚は早かったです。まあ落ち込むこともありますが、基本的には元気です。そのほうがラクなんじゃないかなー

組織としては「標準を作って、変え続ける」のが標準

社長とマネージャーの皆さんへ。

前述の通り、ヒトの群れにおいて「標準」や「ルール」は必要不可欠。原始時代からそうです。夫婦や家族ですら、決め事が大切です。ですが、経験上、小企業ではこれが作られてないケースが多いですねー。作ったほうが便利ですよ。

特に、仕事が忙しい、売上が伸びてきて忙しい、オペレーションを人に移管したい、新しい商売をしたいから今の事業は人に渡したい、といった場合、標準手順やルールや業務方針が、必ず必要になります。以下は参考記事です。

ただ、私もいち経営者として、標準化を色々とやっての実感ですが、副作用もあります。標準やルールは「それを作った瞬間から古くなり始める」という特性を持ってますから。

放置しておくと、「決まったことを決まった通りに繰り返しやっている」うちに、惰性になって、組織の創造性が落ちていく実感があります。更に、古い標準がそのまま運用されて、老朽化した標準が個人を抑圧すると、前述の「逸脱するヒト」のパワーを活かせなくなるリスクも感じます。

だから、標準や掟は、式年遷宮のように「壊す前提で作る」のが大切なんじゃないかなと考えてます。生物のように、予め、新陳代謝とか世代交代を組み込む必要があるってことでしょうかねー。

なにごとも、キッチリ正解を定義して固めると、苦しくなります。一方で、各自のバラバラ解釈で好き勝手やってるとパワーが散ってしまいます。この2つのバランスの間でワイワイやって、時間がめぐる中で壊して作ってを繰り返すのが人間の自然な姿だろうなーと思います。

はい、今回は以上です。
いやー案外長くなりました。。

P.S.

ちょいと宣伝。私達のコンサルティングは、ECの売上UPや業務効率化に加えて「壁打ち」を大切にします。範囲を定めずに、おしゃべりしながら整理していく感じです。

すると、自然と、自分の性格や好き嫌いの話題も出てきますね。これをやると売れる、といった話だけでなく、何をやりたいとか、どこでモヤモヤしているとか、どういうのが好みで、ついついこの辺が気になってしまう、といった柔らかい話を大切にしたいんです。

私達はそんな雰囲気でお手伝い業をやってます。気軽にどうぞ。

※テーマは何でもOK。なんとなくしっくりこないとか、将来が怪しい気がするとか、人員配置とか、初心者だけど大丈夫か、本店とモール店のバランス見直し、などなど。連絡お待ちしてますー

そういえば。
新型コロナに対する解釈でも色んな意見が出てますが、今回の話を踏まえると、ヒトそれぞれの性格=生まれ持った役割に基づいて、「個人個人によって違った見解が出てくる状態」が、群れとしては正しいんだろうと思います。

先が見えない世の中ですが、自然界というか「野生」は元々そうですね。我々のご先祖のように「自分の身体に備わった感覚」を生かして、ワイルドにサバイブしていきたいなーと思います。

がんばっていきましょうー

カテゴリー: EC事業の組織論

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