こんにちは、坂本です。
2021年のEC動向について考えてみるシリーズ記事の、第二回※です。
今回のテーマは、メーカーECと「クラフト要素」。※メーカーじゃない方でも参考になります。
「クラフト○○」っていう言い回し、最近よく見るようになったなあ、と思いませんか。「フツーの大量生産品とはひと味違います」という意味合いで使われますね。
今、お客さんの心理が、前以上にクラフト好きになっているように思います。なぜか?そこには「大量生産品への差別化」だけではない、深い心理があるんです。個人的な仮説ですが「現代人は動物園に飼われているが、ホモサピエンスのDNAがそれに反発している」。そして「動物としてのヒト」のDNAが「クラフト消費」を求めているのです! 詳しくは本編をどうぞ。
※まだお読みでない方、前回、第一回目の記事は以下からどうぞ。
- 目次 -
はじめに
シリーズ「2021年のEC業界展望」の紹介
このシリーズ記事では、2021年以降のECと世の中の変化について、「変化の背後にある時代的な要因」について考えます。
- 「2021年EC業界占ってみた」シリーズ
- 第1回 「集客力」よりも、「引力」で差がつく時代に
- 第2回 メーカーECは「クラフト訴求」で便利の向こう側へ
- 第3回 仕入れECは「エージェント化」で存在意義を回復する
- 第4回 変化の時代だからこそ、「不変」でありたい
変化の根本要因がわかれば、目に見える現象に対して慌てず対応できるはず。
ただ、これらの記事は抽象的で、具体的な売れる手順はあまり書きません。占いレベルの主観的な想像が多いです。信じるか信じないかはあなた次第、ということでよろしくお付き合いください。
まず前提から。「クラフト○○」って何?
「クラフト○○」について少し補足します。
たとえば「クラフトビール」は、大手メーカーのビールと違いますよね。わたし個人的には最近「クラフトジン」も好きです。クラフトジンは普通のジンより色んなハーブが入ってて香りが良くておいしいのです(説明が雑)。
本来の「クラフト」は、手作り品、あるいは手作り作業そのものを指します。転じて、大量生産と違って、ちょっと希少で味があるという意味合いかな。更に転じて、大量生産でも「フツーとちょっと違っててイイ感じ」「手仕事風」くらいの意味でも使われてます。サントリーの「クラフトボス」は普通に大量生産ですねw
でも、なんで今、「手仕事風」が支持されるんでしょう?どうも、「便利」の価値が下がっていて、その反動で「クラフト的なもの」が上がっている気がするんですよね。。。
ちなみに、この記事で考える「クラフト○○」は単なる商品名や商品カテゴリ名だけでなく、実際に手やカラダを動かす行為や、手仕事的なストーリーに触れることも指しています。後述。
いま、「便利さの価値」が低下している
「客観的価値」と「主観的価値」について
まず、クラフト云々の手前の、前提から説明しますね。
大手事業者が提供してくれる「便利さの『価値』が下がっている」件について考えます。
正確には「主観的な価値」が下がっているかな、と。
価値には、客観的価値と主観的価値があります。
- 「客観的価値」は、メルカリに出すと幾らで売れそう等の、多くの人に共通する物差し、基準。通貨に換算しやすい。このツボはルーブル美術館に展示されているんですよ・・と言われても自分にとっては全く不要ですが、なんだか価値の高いものなんだなーとは思いますね。「多くの人が共通して価値が高いと思うだろうなあ」というものは客観的価値が高い。だから変動しにくい。
- 逆に、「主観的価値」は個人の内面で感じられる価値です。例えばものすごくお腹が減っている時は何を食べても美味しい。美味しいはずの寿司でも「夫婦喧嘩しながら食べる」と美味しくない。喧嘩したせいで目の前のトロが劣化したわけではなく「あなたの感覚の中で美味しくなくなった」だけなので、他の人には美味しいトロです。主観的価値は、主観的なので人による。変動しやすい。当然、通貨に換算しにくい。
で、多くの人が「価値の高い・低い」を評価しようとすると、客観的価値で測定するんですが、実際「自分のためにコレを買うかどうか」の判断基準は、常に主観的価値なんですよね。←コレ大事な話です。
前回の記事での「メガ盛り食堂の価値は高いか否か?」という話にも繋がりますね。
商売するときは、特にメーカーがオリジナル商品を考えるときは、主観的価値を考えることが大切。
「便利さの陳腐化」について
話を戻します。
今お伝えしているのは、便利さの「主観的な価値が下がっている」。対比的に、クラフトの主観的価値が上がっている。という話です。
便利は飽きますからね。かつ、世の中全体が便利だと、なおさら便利は陳腐化します。便利が当たり前になるとありがたくなくなる。お腹いっぱいになって、「主観的価値が低下する」わけです。贅沢なもんだ。
時を戻そう。高度経済成長期。製品が大量生産されました。生産したらどんどん売れる。皆が豊かになった。製品が十分に行き渡った。製品が余った。どうする。製品を消費してもらわねば。そこで今度は「需要が大量生産された」。まず最初にコレを買うと良い、というブームが生産され、次に実際の製品が売れた。
高度経済成長期、お腹が減っていた時代はおにぎりを沢山作って売ればよかった。みんなの空腹が収まったあとは、HotDogPressや東京Walkerによって今食べるべきトレンディなおにぎりを演出して「コレが流行っている」とかいって大量に売り込んだわけです。すると、お腹減ってなくても食べる。
そのあとの時代、つまり現代はどうなっているか。好みや個性を重んじたバラエティ豊かなおにぎりを24時間販売で、あらゆる人にあらゆるタイミングに適応できるように進化しました。でもこれ、結局「手練手管でおにぎりを胃袋に押し込んでいる」と言えなくもない。もういいよ!お腹いっぱいだよ!そんなに種類なくてもいいよ!
- 便利さの陳腐化 → 主観的価値の低下
結果、コンビニおにぎりのありがたみが消え、「自分で作ったおにぎりこそが旨い」あるいは「専門店でプロが握ったおにぎりはぜんぜん違う」とかに価値を感じ始めるわけです。つまりクラフト性ですね。
いやでも、コンビニおにぎりは、客観的に言って凄まじいですよ。24時間で多品種で美味しくてしかも安い。あらゆる技術が投入された凄まじい便利さ。誰かが「日本人の狂気」と言ってましたw だから、客観的価値としては超高いです。プロジェクトX級の努力があっただろうと思います。なのに、主観的価値の世界では「飽きた」「普通」「当たり前」という扱い。ひどい。
一方で「おうちで普通に握ったおにぎり」とかが特別に見える・・インスタに上げたりしてね。普通に握っただけなのに価値が高く見えるw なんだこれw
手作りおにぎりの価値が、ある意味「過剰に」高くなっているんですよね。「便利」の価値が低く見積もられ、「クラフト」の価値が主観的に高く感じられるようになっているのが現在です。大手には悪いけど、中小には嬉しい現象です。
いま、「クラフト性」の価値が高まっている
で、「クラフト」の「主観的価値」が高く感じられる理由と、考えられる打ち手を考察します。
人間の「原始のDNA」がクラフトを求めている
クラフト○○への支持拡大は、単に「便利さに飽きた」だけではないように思うんです。
実は、クラフト需要の裏に、ある「原始的な需要」が存在しているのではないかなと。。
たとえ話をします。たとえば自我を持ち始めた子供は、何でも自分でやりたがるものだし、当たり前の家事も楽しそうにやりますね。ウチの子もそんな感じです。わたしは料理できませんが、最近少しやるようになりました(注:ほぼ自動調理器に具材を入れるだけ)。以前は作ってもらったものを食べるのが効率的と思ってて、料理は健康と家事分担のため「義務的に」やりはじめましたが、どうやら、わざわざ作るのは「楽しい」ですね。効率の枠外にある「幸福感」がある。恥ずかしながら40半ばで初めて知りました^^;
このように、「便利で何もしなくていい」ことには価値がありますが、一方で「わざわざ自分でやる」という行為にも、謎の魅力がありますよね。
時を戻そう。原始時代。紀元前20万年から、1万年くらいまでの人類について考えてください。
実は、原始人のDNAと、現代人のDNAは同じだって知ってますか。生物の進化においては、何万年か程度ではあまり進化できないのです。つまり「人間の体は原始時代に適応するよう作られている」のに、我々は現代人として生活している、というギャップがあるわけです。我々は原始人 in 現代なのです。
野生で走り回っている動物を、檻に押し込めて動けなくしたら、体調壊しますよね。ヒトの体は日々の便利すぎる生活に違和感を感じている。。だからおかしなことが起こります。
便利な暮らしには「不便が足りない」
現代人は、原始人からしたら、信じられないほど快適に暮らしていますね。
天国以上に便利で清潔な生活インフラ、いくらでも出る水道、適温の空調、届けてくれる全国からの食べ物・・を享受しているのに、
なぜか「どうぶつの森」で労働している。
二束三文で動物のために奉仕している。
しかも自分から。矛盾ですね。
現代のヒトは、野生から切り離され、都市という動物園で、あらゆる便利さを享受しながら飼育されています。しかし飼育環境に問題があります。「不便が不足している」。生きる実感が不足している。
ヒトが、獲得や生産から遠ざかり、コンビニとAmazonによって実現された「ひたすら便利さを流し込まれる消費生活」に対しての「本能的な違和感」がピークを迎え、生まれたのがクラフト性という需要ではないでしょうか。
不便が欲しい。
まあ、生活の全てを完全クラフト化するとリアル原始人になっちゃうのでw
生活のワンポイントにクラフトを混ぜたい程度ですけどね。クラフトを補充したい、という需要が存在するんじゃないかなと。
クラフト消費の3要素「手触り、関わり、物語」
ここからは実践編。野生から追放され、都市という動物園に飼われ、どうぶつの森をさまよっている「原始のDNA」は、生きる実感としてのクラフト消費に飢えています。
我々は、彼らにどんなクラフト性を提供できるでしょうか?それは、生きる実感としての「手触り」、人との「関わり」、共感できる「物語」の3つだと考えます。以下、考察します。販促企画のヒントになれば幸いです。
クラフト要素1「手触り」
ヒトという動物は、長い間、自らの体を動かして家を作り、道具を作り、食べ物を獲得して生活してきました。
現代は「お金さえあれば全部やってもらえる」のですが、我々の原始人DNAはここに対して不満があるようです。自分が手を動かして何か出来上がったりするとDNAが喜びます。
たとえば、「非効率だけど丁寧な暮らし」や「キャンプ」は「生活を自分の手でコントロールしている」実感を得ることができます。園芸も筋トレも、自分で手間を掛け、時間とともに良くなっていく根源的な喜びがあります。
ルイ14世とマリーアントワネットの事例も面白いです。超お金持ちで贅沢しまくってたルイ14世の趣味は錠前作りで、マリーアントワネットは田舎の小屋を模した宮殿(というか小屋)をわざわざ作って、田舎の農民のような暮らしを楽しんだんだそうです。クラフトに飢えてたんでしょうかねー。
こういう「ヒトとして根源的な喜びのある手触り」を商品化すると良いでしょうね。
この際、参考になるのが「製品と商品は別」「製品に意味を乗せると商品になる」という考え方です(坂本がたまにセミナーで話してます)。例えばベーキングパウダーや小麦粉は単なる「製品」ですが、意味を載せて「親子で作るお菓子作り『パティシエ入門セット』」にすると、商品です。そんな感じで、お取り扱いの製品に、手触り的な意味を載せてみると面白い商品になるかも。
クラフト要素2「関わり」
ヒトという動物は、長い間、群れで暮らしてきました。
自分が安全で快適だとしても・・自分が誰かのために役立っていたり、誰かから自分の成長が見られていたり、そういった他者との関わりの中にいないと・・原始人DNAは違和感を感じます。何か、人と関わりたくなる。
たとえばヒトは、「人からおにぎりをもらう」よりも、「おにぎりを作って誰かに食べさせてあげて、喜ばれる」方がよほど幸福だったりしたりします。人は関わりの中で生きる動物だからです。
そういえば去年は「応援消費」という言葉をよく見ましたね。弊社クライアントさんにもクラファンでヒット商品を出した方や、復興福袋に取り組んだ方がいます。応援してくれた人には感謝や特定をリターンするだけでなく、経過報告をしたり、あるいは相談してアイデアを求めたりして「関わりポイント」を作っていくのが良いでしょうね。
ちなみに弊社でもお手伝いしている、クラフトビールで有名なヤッホーブルーイング社も、お客さんとの縁と関わりが深く、ファンが多く、オンライン/オフライン問わず、イベントも盛況です。
たぶん、この記事を読んでいる方は、仕事とか友達関係をバリバリやっていて、すでに多くの関わりに囲まれていて、「関わり不足」を感じていないかもしれません。しかし、最近人と関わる機会がないとか、いま所属しているコミュニティや職場が物足りないな・もっと広げたい「関わり需要」を持つ人もいます。現代において「関わりたいヒト」は結構多いんじゃないかな。特に、いま大変なヒトや、圧の強いコミュニティに所属して疲れているヒトには、「気軽で安全な関わり」が必要なんじゃないかなー。
そういった需要に応えるべく、「関わり要素」をサービスの中に組み込んでいくと良いかもしれません。
クラフト要素3「物語」
以前、地方の食品や特産品ECの方に向けた某セミナーで話した考え方です。
実は、地方や手作りの商品を求めるお客さんは「前向きな先入感を持っている」んです。多くのお客さんは「地方で手作りだから、きっと何か素敵なエピソードを持っているはずだ」という「期待を持って」あなたの店舗ページを見に来ています。
言い換えると、「すでに期待している状態」で見に来てくれます。だから、あなたは、自分の写真や工場や風景などを見せながら、クラフト感出していくと、お客さんは「そうそう、こういう作り手の顔が見えるのいいよね」「やっぱりおいしいよね」などと満足します。
ドライな現実を言ってしまうと、旨いものは、現地まで行かなくても東京でも食えるわけですよ。でも現地で食べるほうが「主観的に」旨い。いまは、マルセイバターサンドそっくりのスイーツがコンビニで買えてしまって愕然とする世の中ですが、でもやっぱり、「味を再現する」だけでなく、ヒトは物語で納得して、主観的な価値を感じたいのです。
ヒトという動物は、長い間、物語とともに暮らしてきました。世界中の神話や古代の物語も、現代のドラマも映画も、「ストーリーを骨組みだけにすればどれも同じような話」なんですけど、飽きずに繰り返し繰り返し消費されていますね。ヒトは物語が大好きです。
だから、地方で、手作りで、温かみがあって・・という骨子だけみると他店と同じようなストーリーであっても、お客さんから期待されている以上は、やっぱり語っていくべきだろうな、と思います。
ちなみに、どこも骨子は同じなので、物語はディテール部分こそが大事です。
該当する方は、ぜひ頑張ってください。
まとめ
ということで、2021年以降、便利の向こう側にある「クラフト消費」が伸びるのでは!というお話でした。
今回ご説明したように、クラフトへの需要は、一過性のブームではありません。人間の本質において「必然性のある需要」です。運動不足でジム行くのと同じです。なんなら、クラフト需要は、もはや飽和した便利さ以上に「切迫した需要」かもしれません。
ところで、前回の記事でも今回の記事でも書きましたが、「価値」は主観的なものです。 大手の製品よりコスパが劣っていても、割高であっても、非合理であっても、関係ありません。客層と用途によっては、価値が発生します。
だから、客観的には価値のない「不便・なにもない」といった状態であっても、クラフト需要によって、主観的価値が発生するわけですね。
私が子供の頃、近所に空き地がありました。土管が置いてました。でも現代は、空き地のない時代ですね。ドラえもん的な空き地がない。「不便な余白」が残されておらず、あらかた埋まっている。自分が関わって手を動かす余地がない。物語が発生しない。そこに「余白への需要」が生じます。
不便さが欲しい。仕事が欲しい。関わりたい。。
この「動物としての人間」「余白の不足」といった概念は、時代を読み解く観点として、今後要チェックだと思います。
日々の販促の中でどう実践するか?は・・すぐは難しいにせよ、アンテナを立てておけば、無意識に情報が溜まって、いつか何かを見つけると思います。まずは事例観察ですね。
そして感覚を磨くために、何がいくら売れているかという計算もいいけど、自分の中にある「原始人の声」に耳を澄ませるのが良いかもしれません。
真面目なあとがき
このシリーズ記事について、大事なことをお伝えしていませんでした。
毎年私は業界展望な記事を書いていますが、今年は例年以上に「需要関係なく私の興味」で書いています。切り口はトンデモだし、具体的なハウツーは書いていませんので、「有益な情報を素早く吸収したい」方は、次回からはスキップをお勧めします^^;すいません
で、今回なぜ私がこういう話を書いたかは理由が2つあって、1つは「思いついちゃったから書きたかった」。もう1つは、「物事を正面ではなく『斜め上』からも表現する」と、「状況認識に厚みが出る&応用が効くようになる」と考えるからです。
例えば、今回の内容をサラッと書くと「あーはいはい、モノではなくコトを売る感じの話ね、知ってる」で流されてしまいますが、この記事では「人間の中にいる原始人DNAが叫んでいます」云々という表現です。斜め上。そして、記事の内容としては、いわゆる「コト売り」を、市場の飽和から発生した「新しい需要」としてではなく「原始への回帰」として、つまり「自覚的・意識的な需要」ではなく「身体的・無意識的な需要」として表現してみた次第です。つまり「斜め上の解釈」。
何でもそうですが、例えば「コト売り」という事象を、一つのトレンドキーワード程度の感覚で浅く捉えていると、つまり「コトを売ると良いよね、知ってる」というくらいの解像度になって、余り実践にはつながりません。知識を広げるほど、個々の事象への理解がつい浅くなりがちなのがヒトの性質です。
なので「コト売り」の話を、斜め上から捉え直して、多面的・有機的に理解すると、発想が出やすくなると思うんですよね。そんなことを考えつつ書きました。まあ実際のところ「コト需要」が、DNAに由来するものかは分かりませんし、そもそも「2021年」とはあまり関係ない(言ってしまった)し、思いついたから書いてしまった。後悔はしていない。
はい、こんな一方的な趣旨で書かれた記事なのに、ここまで読んで頂いて、本当に嬉しく思います。本当ーーーにありがとうございます。今後もこんな調子です。元気にがんばりますのでよろしくお付き合いください。(あ、楽天とかECモールなどの状況についても例年どおり記事化していきます)
次回予告
5年前くらいからか、私の周囲でよく言われる話。「これから仕入れ型の EC が厳しくなるかも」「大規模品揃えのECやメーカー直営ECがたくさんある中、小規模かつ仕入れのECは、淘汰される恐れがある」。
コロナの影響でEC市場は急拡大していますが、大手も増えてますからね。今後を考えると、中小規模かつ仕入れの事業者には「進化」が必要です。
どう進化するかの方針としてご案内したいのが「エージェント化」です。
コレもまた、価値定義とつながった話です。コスパや原価と関係なく価値を感じてもらえる、選ばれて愛されるためのお話です。乞うご期待。記事はもう書き終えてますからご安心くださいw
もちろん次回もメルマガでお伝えします。購読をお願いします。
P.S.
クラフト性を活かすことで、コスパ競争を避けながら、ほしい人に喜んでもらえる商売ができると思います。興味のある方には、私達がお手伝いします。
大手メーカーと違って中小のメーカーは「主観的価値」に依存しているところが多いです。だからこそ「自分たちが感じてもらえている主観的価値が何に由来しているのか」を把握しておくことがとっても重要ですね。