シリーズ最後となる今回の記事では、これまでのおさらいをしつつ「これからの世の中がどうなるか・我々はどこに行くか」を妄想してみます。
中小のECは、「お客さん側の主観的価値」に着目していくことが突破口になるのではないかなーという話をしてきました。ここまではマーケティングの話が中心でした。
最後のこの記事は、マネジメントの話が中心です。社会全体が「主観的価値」を重視する流れになってきている点と、経営においても、一般的な客観的成果よりも「主観的成果」を重視したほうがいいかもね、という話をします。
※ちなみにこれらは私だけで考えたことではなくて、いろんな人から学んだ話が入っています。元ネタになっている先生方は記事の最後で紹介します。
- 目次 -
おさらいと、この記事の趣旨
全4回のシリーズ記事の最終回なので、これまでの要点をおさらい。
EC参入増加とパワーゲーム
コロナの影響でEC市場は急拡大してますが、参入が増えて競争激化の見込み。
実店舗が商圏内での「地方大会」だとすれば、EC事業は「全国大会」なので、とても比較される。実店舗なら10店舗ハシゴとかしませんが、ECは比べやすい。だから同業が多くて埋もれやすい。
単純に品揃えの多さとか、配送の早さとかのパワーゲームだと中小は不利になります。今後を考えると、中小規模の事業者には「進化」が必要。
選ばれる理由を作る
お客さんの「比較基準」。あなたのお店を支持してくれるお客さんはこう言います。
「似たような○○は他にもたくさんあるけど、○○ならやっぱりココだな。だって△△だから」。
この穴埋めフレーズが大切です。「だって△△だから」「△△だからここで買う」。
この△△の理由部分が競争力の源泉です。あなたのお店では、△△には何が入りますか?安い、スペックが良い、在庫があるから早い、primeマークがついてる、、、も重要ですが、今後の「パワーゲーム」を考えると、「単純比較されない差別化要素」がほしくありませんか?
主観的価値と客観的価値
そこで着目して欲しいのが「主観的価値」という考え方。
価値には、客観的価値と主観的価値があります。
「客観的価値」は、メルカリに出すと幾らで売れそう等の、多くの人に共通する物差し、基準。通貨に換算しやすい。この商品は○○ランキングが連続1位でグッドデザイン賞受賞で芸能人の○○さんも使ってて・・「多くの人が共通して価値が高いと思うだろうなあ」というものは客観的価値が高い。だから変動しにくい。
逆に、「主観的価値」は個人の内面で感じられる価値です。例えばものすごくお腹が減っている時は何を食べても美味しい。美味しいはずの寿司でも「夫婦喧嘩しながら食べる」と美味しくない。喧嘩したせいで目の前のトロが劣化したわけではなく「あなたの感覚の中で美味しくなくなった」だけなので、他の人には美味しいトロです。主観的価値は、主観的なので人による。変動しやすい。当然、通貨に換算しにくい。
で、ここからが大切な話。
多くの人が「価値の高い・低い」を評価しようとすると、客観的価値で測定するんですが、実際「自分のためにコレを買うかどうか」の判断基準は、常に主観的価値なんですよね。←コレ大事な話です。
大手が提供する便利サービスは、客観的価値が高い。中小は、そこにまともに対抗せずに、主観的価値を狙っていったほうが競争回避できるんじゃないかな、と。
で、面白いことに、主観的価値って原価関係ないんですね。
近所の裏山に、なにもない草原があったとします。客観的価値は低い。しかしその原っぱを「この街で一番星がよく見えるキャンプ地」と定義したら価値が発生しますよね。
コロナで遠出ができないけど、引きこもるとストレスだから気晴らししたいなあ。え、近所にキャンプ地があるの?近所だし、屋外だから安心だな。走り回れて子供も嬉しい。いまなら冬の大三角形がきれいに見えるんだって。みんなで星を見てココアを飲もう。いやーこのキャンプ地は最高だよね!
ってな感じで、ヒトの解釈によって価値が発生するわけです。なにもない草原が「最高」になりえるのが主観的価値の面白いところです。
競争激化する市場において、中小事業者がパワーゲームを回避するには、主観的価値を念頭に置いて、こういう「意味づけ」を上手く使っていきたいなと。
クラフト消費
第二回の記事で紹介したのは「クラフト消費」。
いま、便利さの「主観的な価値が下がっている」。便利が当たり前になるとありがたくなくなる。対比的に、クラフトの主観的価値が上がっている。便利だから不便に飢えている。
たとえば、超絶物凄い企業努力で運用されている「コンビニおにぎり」はなんだか当たり前で、「自分で作ったおにぎりこそが旨い」あるいは「専門店でプロが握ったおにぎりはぜんぜん違う」とかに価値を感じる。世の中全体が便利だと、なおさら便利は陳腐化します。
ドライな現実を言ってしまうと、旨いものは、現地まで行かなくても東京でも食える。でも現地で食べるほうが「主観的に」旨い。いまは、マルセイバターサンドそっくりのスイーツがコンビニで買えてしまって愕然とする世の中ですが、でもやっぱり「味を再現する」だけでなく、ヒトは物語で納得して、主観的な価値を感じたいのです。このへんの感覚を上手く商売に使っていきたい。
エージェント化
第三回の記事で紹介したのは「エージェント型EC」。ニッチ化(専門特化)&エージェント化、といったほうが分かりやすかったかも。
専門化は競争回避の定番ですね。専門特化は、客層を絞る一方で、色んなプラス効果があります。昔は「手を広げる」のが有効でしたが、変わっています。
ウチの最寄りスーパーの近くには高級な魚屋があります。干物一枚買うだけならスーパーで済ませますが、この魚屋さんは、家飲みするとか来客があるとか「特定の用途に限っては比較優位になる」という立ち位置です。特定用途に限っては特化型の店にいく。そのようにしてワンストップ型の大手と棲み分けるイメージですね。
当然対象客層は少なくなりますが、特化しているからこそ、該当者にとっては「この店は最高・まさに探していた」になるわけです。以前紹介した「純粋想起」にもつながります。
「品揃えが多い」のは「部外者の客観視点」では一見価値があるっぽいですが、実は「お客さんの主観視点」では、「自分の都合から外れた品揃え」は、強みどころか、ノイズに過ぎないわけです!これは品揃えだけでなくサービスにも言えますね。不要なサービスが色々あるのはノイズです。最近のお客さんはノイズにうるさいですしね。
これ、まさに前回紹介した「主観的価値と客観的価値の違い」に由来する話です。この概念は超重要。「品数が少ないことに主観的価値がある」のも、クラフト消費の話における「何もない・不便と言う主観的価値がある」と同じ。
で、専門化を経て「当該の領域ならではのサービス」のレベルを上げていく。専門化は、CSやバックヤードなどの業務プロセス進化を促すし、ガイドコンテンツや接客などの購買支援もやれるし、プラグインで機能強化したりアプリを作ったりできます。これは汎用型ECには出来ない利便性を生み出せます。
集客力から「引力」の時代へ
いずれにしても、客層を絞って、その人達の主観的価値に狙いを定めるってことですね。これは、対象市場は小さくなります。でも小さいからこそ大手が来ない。あと、マニアックな専門化をしたとしても、全国大会ですからね。全国からカメレオン愛好家が集まるお店、っていうくらい尖ったほうが小規模店舗は安定するわけです。
そして、小さな市場は、小さいので、ちょっと売るとすぐにシェアが上がります。トップシェアになると純粋想起が発生します。特に現在はマニアックな嗜好であっても SNSで仲間が繋がってたりするから紹介も起こりやすい。
特に「これまで他の事業者から相手にされなかったようなマイノリティ客層」に対して「味方のポジションで支援をする」と、感情的な共感と支持が得られます。
これは私の仮説ではなくいろんなたくさんの店で発生している成功パターンです。
今後については、この傾向がさらに強まり、人為的な集客をするだけでなく「引力の自然発生」の方にも注目が集まってくるのではないかと考えています。これが第一回で書いた「引力」の話です。
お客さんの記憶の中に沢山の貢献実績を蓄積していくと、いつしか引力が発生する。いずれ、集客力より「引力」が重要になる。もしかしたら、人為的に足掻いて集客するよりも、ただただ価値の向上に努め、選ばれ得るべきサービスやコンテンツを磨いていれば、インターネットと時代がマッチングしてくれて、自然とお客さんが集まってくる状態になるんじゃないかなあ。。これは私の仮説ですけどね。
今回の話
さて、以上を踏まえまして、今回は何をお伝えするのか。
これまではマーケティング寄りの話でした。今回のテーマは、マネジメント寄りです。人と社会はどうなるのか。そして、これから先の中小事業者の経営はどうあるべきか。
まず、人と社会の話として、これからの社会は、「主観的価値観を皆がぶっちゃけてくる『カミングアウト社会』になる」と想定し、その解説をします。
次に、中小事業者の経営について、こんな時代における中小事業は「成長が義務付けられている上場企業とは違う」わけですから、自分達は何を大切にしたいのか・・客観的な業績ではなく「主観的に大切にしたいことを見直す」ことで、経営全体が「いい感じ」になるんじゃないかなーという話。
売上や利益が伸びるような話はありませんが、日々の仕事をより「いい感じ」にする参考にはなるかも。お付き合いください。
免責
いま現在「短期的な課題に取り組んでいる最中」の方は、この記事を読まないほうがいいかもしれません。たとえば、コロナで大変な状況だとか、コロナ関係なくても短期の収支が課題になっている方など。
この記事の話は、「目先の経営がある程度は安定している」方に向けた、中長期的な話です。だから、「今そこにある危機」には使えないと思います。
それぞれの経営者にあるそれぞれの問題意識は、それぞれに重要です。中長期的な話こそが高尚で、短期的な話・収支を回復させるための具体的な情報が低レベルなんてことはありません。経営者は「いま現在の最大のテーマ」にこそ集中すべきです。今そこに危機があるならば、そこに向き合うことが最優先です。火消しは大切な仕事です。
売上低下対策などの火消し情報が必要な方は、この記事よりこちらの記事が参考になると思います。
これからの「カミングアウト社会」
さて本題。
これからの時代は、みんなが自分の「主観的な価値観」や好みをどんどん「カミングアウト」していく時代であり、分断と対立が起こる一方で、いろんな協調も起こるのではないかなーと思います。社会評論なのであんまり商売と関係ないけどw 組織運営や大局判断には関係するかなと思います。
「カミングアウト社会」の時代
これからの10年はどうなるのか。2021年からは「カミングアウトの時代」になるのではなかろうか。既になってますね。今年からの10年は、ここで書く価値観が「標準」になると思います。
「理性的で大人で常識に沿って正しく振る舞う」という建前が崩れ、実はこれが好きだとか実はこれをやりたくないとか、「個人が自分の中である程度抑圧していたもの」をあらわにしていく時代。
たとえば、「私は褒められて伸びるタイプです(ドヤァ」って昭和や平成ではなかなか言えませんでした。が、令和では割と言える空気ですねw いいことです。でも、嫌いなものは嫌いだ!ってヘイトも増えている。悲しいことです。
若い世代が以前ほど「ステータス消費」をしなくなっているのもこの流れのように思います。該当世代の人に聞いてみると、世間の慣習に合わせるよりは「自分の中の納得感を重視する」傾向がありますね。若い世代から見てみると、古い世代は「自分の中の納得感に対して鈍感で、外部の判断軸で動きがち」なのかもな。。
ヒトの多様性や内面についても社会的な理解が深まってきた。LGBTだけでなく、例えばうつ病への理解が進んだし、大人の発達障害やHSPの話も知られるようになりましたね。
我々が生まれる前の時代・・「物資が不足して、ギリギリで生活していた時代」においては、個人の細かい好みだか多様性だかに配慮する余裕などないので、当然「みんなで我慢」しますよね。共同生活の維持において、我慢は必要条件であり常識でした。その状況では、「我慢が美徳」になります。
しかし今後は、我慢ではなく「多様性の尊重と協調」と「多様な消費」こそに価値と経済が発生するので、これからは我慢よりも「カミングアウトが美徳」になります。我慢を強いる人が否定され、カミングアウトが礼賛される世の中になったわけです。古い時代に頑張っていた人からすると、世知辛いかもしれませんね。
「反動的ノスタルジー」の時代
反動もあります。抑圧と形式をはねのけて各自がカミングアウトな主張をすると、そのままだと・・米国じゃないですが、あちこちで分断が起こりそう。
だって「みんながいろいろな意見を言う」って、調整が面倒じゃないですか。正解が決まっている方が楽だし早い。仕事も進む。だから、人によっては「色々なことが予め決まっていたあの頃」に戻りたくなります。過去の秩序に戻したい心理が生じる。これを「反動的ノスタルジー」と名付けました。(昔の椎名林檎の曲名みたいだな)
だから、「古い時代の正しさ」を強く主張する動きも出るはず。あちこちで色んな対立が起こってますよね。主観的価値を重視する若い子と、反動的ノスタルジーおじさんとが対立するなど。
ただし、新しい方が全て正しいってわけでもない。「おじさん側にはおじさんの理由がある」ので、そこを汲んであげないと思いが成仏できない。とおじさんの私は思います。
で、こんな「正解」がハッキリしない状態に耐性がない人は、旧世代のみならず、新世代の側にも存在します。だから「権威ある誰かに決めて欲しい心理とか、正解を求める心理は、新世代側にも強まるでしょうね。「既存秩序を否定する人」に権威が発生し、「これからの時代はコレが正解」「○○なんて必要ないしバカ」などという敵方を否定する意見に人気と力が集まる。「よくぞ言ってくれた!そうだそうだ!」的なやつ。
うーん新時代の流れに乗っかって対立軸を作ってマウンティングしている人って、実は新しくないと思います。旧世代の主張だって多様性の一部なんだし、肯定しつつ止揚してみせる度量が欲しいよなあ。世代交代は、旧世代否定の革命ギロチンではなく、大政奉還で維新すべきだと坂本は思うぜよ。
「協調テクノロジー」の時代
われわれが時代と向かい合う基本姿勢としては、自分の偏りをカミングアウトしながらも、自分以外の人の偏りを受け入れて、相互に認め合うことが大切でしょうねー。自分を立てて相手を立てる。
なんか、昭和世代は周囲に合わせることや自己抑圧が染み付いているかも。昭和人は「自分を抑えることでこの場がまとまれば」なんて思いがちですが、実際のところ「自分は何をしたいか・何をしたくないか、正直に言ってしまう」方が、短期的には衝突したとしても、長い目で見ると本当の調和になりやすい気がします。
「主観的価値観の衝突」は綱引きによるパワーロスが生じるんですが、相互に尊重して調和すると、ロスが消える。しかも、主観的幸福は、お金を分配するのと違って、ゼロサム構造(誰かが得すると誰かが損する)ではないので、互いがハッピーになれる可能性が増える。
これは「皆さん仲良くしましょうね」という道徳の話をしているわけではないんです。「みんな仲良く」のお花畑では成果が出ない。成果が出なけりゃご飯が食べられない。「機能する多様性・機能する協調」でなければいけない。
だから、これからの時代では、「協調を成果につなげる手法」が強く求められるはず。
多様な個性と意見を協調させ、自分を殺さず周囲を活かすための、協調のためのスキルや技術(テクノロジー)。ファシリテーションやコーチングや1on1のような対話スキルとか、上手に情報や意見を集約するオンライン対話ツールとか、スムーズに対話するための理念(=共有する大目的)の設定やフレームワークとか。
でも、この先「協調しようとして失敗する」ことも多いはずです。対立にストレスを感じて、そこから逃避しようとするのが「協調主義の失敗パターン」。逃避行動の典型は、協調のフリして衝突から逃げて「妥協しながら時間を浪費」したり、度量が狭くて「延々と互いに攻撃」したり。そんな感じで、多様性が裏目に出て、協調主義が失敗続きな場合、「もう誰かに決めてもらおう」つって有能な誰かに判断を預けることになりますね。協調の失敗が続けば、反動的ノスタルジーの反撃で権威型の社会にシフトすることでしょう。
歴史的にみて、あらゆる権威主義は「機能しない協調主義」「ほらみろお花畑な話し合いなど意味がないのだッ」を論拠として成長し、「代弁してくれるカリスマ」への熱狂的支持とともに膨張するのです。まあ、中国のコロナ対応など見てると、誰しも「権威が大事かも」って気持ちになりますがね。。
ここから10年は「民度」が問われる時代とも言えますね。そしてそれは、昭和的な「我慢の民度」ではなく、自分を殺さず周囲も活かす「協調の民度」です。
協調主義の本質は、妥協ではなく「誰も傷つけないための戦い」です。お花畑でも道徳でもない。
※協調主義について補足。人間と人間だけではなく「自分の内面」でも葛藤が起こったりします。 「Aでなければいけない自分」 vs 「Bしたい自分」。家族を食わせなければの自分と、転職したい自分。まあBが持ち上げられるのが現代的価値観wですが、AにはAなりの理由や経緯があるから、Aを廃棄したらいかんとおもいます。だから、自分の内面にいるA君の気持ちを洞察しつつ、B君との協調を探ることが大切ですね。実際こんな会話が坂本のコンサルでは頻発してます。
「主観的な成果」を重視する
次に、この時代における「働き方」と「経営」について考えます。いわば、自分個人の主観的価値観を踏まえた「目的・目標の再設定」についてです。
主に中小の経営者に向けて書きますが、個人のキャリアプランでも同じことが言えますよ。むしろ、中小の経営者は「個人のキャリアプランと同じように経営を捉える」ほうがいいかもしれない。
「客観的成果」と距離をおいてみる
「客観的成果」というのは、利益や成長性などの「誰が見ても大事な指標」です。利益がなければご飯は食べられませんが、それ「以外」も見ないとなあ、と最近思っております。
昔話をします。私が10数年前、楽天に勤務して、ECC(営業)してたときに担当したネットショップの中にK藤さんという年配の自営業者さんがいまして、最初はお叱りの電話をいただくところから付き合いが始まり、仲良くなって飲んだり色々提案したりして順調に伸びてきて、無事月商100万を超え「もうすぐ月商200万突破しそうですね」と言ったらK藤さんが「いや困る、やめてくれ」と。なぜかというと、これ以上売れると人雇ったり労働時間が伸びたりして「17時からビールが飲めなくなる」。17時にシャッターおろして飲むのが生きがいなので、それを奪わないでほしいとのこと。なるほど。
楽天ECC時代の坂本は基本売上至上主義で、新規オープン店舗を手伝って割と短期でショップ・オブ・ザ・イヤーを受賞して頂くとかガンガンにやってましたので最初は意味不明でしたが、確かに、「収入が多くてもツライ悩みがあればさほど幸せでない」のと同じで、利益は目的じゃなく、何かの手段だもんなーとも思いました。良い経験でした。
経営者が「客観的な成果」に引っ張られる心理
解釈してみますと、「主観的な成果(ex.17時にビール)」と「客観的な成果(売上etc.)」があると思うんです。重要なのは前者なんですけど、人の性として、後者に引っ張られてしまいがち。(K藤さんは引っ張られませんでしたが)
なぜなら、まず、売上規模や収益の大きさや成長性って、経営者のセルフイメージの高さ(自信)とつながりますよね。だから伸ばしたくなる。
それに、多くの人から感心されたり尊敬されたりするのは「客観的成果」の方なんですね。お金があれば家族や従業員にも報いることができるし。だから、売る→ホメられる→もっと売る・・のサイクルに入りがち。
しかも、社長って、自分のことを褒める人が社内にいないから「与えられる名誉」が気になってしまうのかもなあ。外部からの承認って、ちょっと中毒性があるというか。
だから、経営者は、「本当に大切なのはそこだけじゃないのに」ついつい客観的成果を偏重するほうに流れていくところがあるなあと。自戒です。
図解するとこんな感じ。
左。経営者が売上などの客観的成果が不足していると思っている。仕事のやりがいとかお客さんの満足など主観的な成果はある程度ある。周囲の人は「この会社はもっと伸びるはず」などという。そうだよね、と思う。
右。売上が伸びたり社員数が増えたり、成長した後。でも大切にしていた何かが損なわれているような・・経営者は違和感を感じます。ただ、経営者が主観的に大切にしていたものを周囲の人はよくわからないので「成長してすごいね」と言ってくれる状態。人間は誰しも肯定されると嬉しいので誇らしくもなりますがでも違和感が拭えない。まあ、売上が落ちている人からしたら「何を贅沢なことを」と思うでしょうが。。
コレ系の事例、結構あります。
たとえば・・愛着あるメイン商品が売れた、融資がおりたから関連商品を品揃えしてスタッフ増えた。自分の心の中では関連商品はそんなに好きじゃないし管理が面倒になった。本当にやりたいことは何だったんだろうなーと。売上伸ばして体壊したりとか。結構ありますよ。
厄介なことに、主観的な成果は計測がしづらいので、自分の心の中にアンテナを立てないと、自覚することが難しい。よく言われるように「幸福を自覚するのは難しい(失ってわかる)」のは経営においても同じなんですね。客観的な成果も勿論大事なんですが、自分の中にこそ基準を持ち、外部の基準に振り回されないようにしたいもんだなと。
上場企業は株主から成長することを期待されているので、成長しないといけないんですけど。我々は「生活と仕事が結びついている」中小なので、判断基準は大手と別物であるべきです。その意味では、K藤さんが17時のビールを測定可能な指標として設定したのは慧眼ですね。飲み過ぎだけ注意ですがw
なお、利益はいらないとか受賞が無駄だと言っているわけでは全然ないんですよ。高い売上も、名誉も、素晴らしい。でも、もし個人的に重視したい物があるなら、それも重視したいよね。という話です。
「普通の人が手に入れられないレアな成果を最短距離で獲得する」というモチベーションで動いている人もいて、こういう人は素のままでいけるからいいですね。でもそうでない人は、自分の価値観を一度内省したほうがいい。
※一つ注意点。「自分にとって不要な価値観や成果」をゴミ呼ばわりしてはいけません。自分にとって不要なものでも、誰かには宝物なんです。あなたが17時のビールに価値を感じなくても、誰かの「幸せに感じる心」を否定してはいけない。あなたが○○賞を不要だと思っても、誰かの喜びを否定してはいけない。自分が良いと思ったものを良いと言うために、誰か・何かを否定する必要はないんです。
「主観的成果」でも目標設定してみる
じゃあ主観的成果をもっと大事にして経営するには、どうすればいいか。ちょっと言い方を変えて「良い感じ」という言葉を使って話を進めてみます。
経営を「良い感じ」にしたい。そう考えたら、収益は重要です。儲かってなかったら「良い感じ」ではないですよね。
じゃあ儲かってさえいれば「良い感じ」といえますか?違いますよね。幾つかの要素があるはず。そこを言語化したほうがいいかもなと。
さきほど書いたような個人的な「やってて楽しい」「忙しすぎない」「夕方にビール飲める」も「良い感じ」の要素です。人によりますけどね。
他の要素としては「取引先との良好な関係性」「市場規模は小さくても競争が少なくて業績安定」とか大事ですよね。「お客さんが喜んでる」「スタッフもそれがうれしそう」「最先端に関わっている」「地域の○○に貢献できている」とかね。コレも人によりますけどね。
そういえば以前ご支援した会社で、「事業承継せずにここから何年か掛けて平穏に規模縮小する」つまり会社の終活を重視するご依頼もありました。いやー人によるなあ。。
うちでお手伝いしている某社長さん、EC仲間の方々からよく羨ましがられる人なのですが、やっぱりバランスが良いんですよね。シェアが高く競争に巻き込まれていない、体制が身軽で程よく商品が少ない、粗利が高い、リピーターが多い、メディア露出も地元の応援も多い、ご本人もなんだか飄々としつつも落ち着きを感じます。つまり「良い感じ」です。
私の言葉でまとめると、「収益のためだけでない意味がある商売」をして、「独自性があって競争が少なく」、そして「無理なく幸せに継続できている」ことが大切だと思ってます。これらがあると、スタッフも幸せになりそう。
自分や社員や取引先に還元できていて、明確な競争力があり、継続的に選ばれていて。安定収益が実現できていて、スタッフは能動的でやりがいを感じていて、全体的に誰も無理してない・・とかね。
で、これらの話って「売上や利益が伸びたら後から自動的に『良い感じ』になる」ことがありえないのはわかりますよね。「後から」ではなく、「予め」ビルトインされているべき。
売上や利益だけを追うとその他の要素が毀損される。それぞれ大切にしたいですね。そのためには、客観的な成果ばかりにとらわれず『自分(達)にとっての良い感じ』をまず自覚しないといけないわけです。
「目的」をアップデートしよう
支援先の方々とお話してて、ここ半年くらいかな、「なんだか頑張れない」という人と話して「目標を主観成果へと切り替える」というパターンが複数ありました。
「なんだか頑張れない」「やらなきゃいけないのに出来ない」「手が動かない」ときって、自分の内面に、動かないなりの理由があるはずなんです。
事例を2つあげますね。
たとえば、「セールスしないといけないんだがやる気がしない」ケース。「交流したり皆で考えたりするコミュニティ」の事業をやっている人が、新規会員募集しないといけない・・といいつつ、なんか乗らない・・。お話を伺っているうちに新しい解釈が生まれました。「自分のためのセールス」ではなく「既存メンバーがもっと楽しめるように、新しいメンバーを増やしてあげよう」と捉え直せて、前向きになりました。
もう1人のケースは「これまで売上や利益をガンガン伸ばすことをやってきた」が「十分伸びたからどうもやる気がしない」ケース。起業家たるもの自分の目指す世界観を語れ、なんていうけど。自分にはそういうものはない。お話を伺ったところ「お客さんと社内メンバーがどうなりたいかを理解してそれを支援をする」つまり好業績は実現したから、次に関係者のハッピーを最大化する。と捉え直して、前向きになりました。
多くの人は、意外と「自分のため」には頑張れないのかもしれません。もしかしたら、なんだか頑張れない人は、例えば「誰かのためになる目的」を再設定すると、エネルギーが生まれるかも。あるいは、他の形があるかもしれない。いずれにせよ、過去の自分の感情にフォーカスを当てて観察するとヒントがあるかも。
こういう話ってなんか綺麗事だと思ってたんですが、前述の通り実際に立ち会ったし、自分自身も思うところがあるので。
我々はいつも「もっと良い手段がないかなー」と探していますが、実は「目的のアップデート」こそが必要なのかもしれませんよ。「良い手段の検討」って楽しいしワクワクしますが、一方「そもそもの目的を見直す」のって、「自分の判断基準を自分で疑う」のと同じ意味なので、モヤモヤするしツライんですよねー。
でも、「自分の中に埋もれているやりたいこと(やってあげたいこと)」を掘り起こして、主観的な成果を定義し、目的の解像度を上げていかないと、努力の先に幸福がないと思うんですよねー
与えられた価値観やルールだけに追従するのではなく、「自分の感性に対して自覚的になること」。主観性を大事にしようねって話でした。
まとめ&最後に
向こう10年の時代の節目かなと思って、色々書いてみました。
「坂本があっち側に行ってしまった」と思うかもしれませんがw 毎回こんなことを書きませんのでご安心ください。あくまでも、私は「こういう価値観」でやっているという話です。
まとめます。
まず社会については、こうなると思います。
これからは、カミングアウト社会。「我慢」は美徳でなくなる。「カミングアウトと協調」が美徳になる。つまり、自分の価値観を内省・自覚し、上手に主張して、かつ周囲と協調することが求められます。苦手な人は苦手だろうな。。
これからは「誰かが決めた評価基準や価値観」だけでなく、一人一人が自分の「主観的価値」を自覚し、「互いに尊重」しながら、協調を通して「幸福の総量」を増やしていく時代になる。お金やランキングや表彰のような「客観的価値」は「誰かが得ると誰かは貰えない」ゼロサム構造ですが、「主観的な価値」に着目すれば、全員が幸福になりうるので。相手を肯定しあうことにお金はかかりませんからね。
これからは、対話を諦めない「協調の民度」が問われる。協調は、理念としては美しいが、実践は難しい。失敗が続く。ストレスから逃れようとして、お茶を濁したり、喧嘩したり、権威者にすべてを決めてもらいたくなる。分断と対立を煽る人もいる。
これからは、シビアな現場で使える「協調のテクノロジー」が求められるだろう。本当の協調主義は、皆さん仲良くしようというお花畑な道徳ではなく、シビアな調停であり、誰も傷つけないための戦いです。そのための武器が求められるだろう。
そんな時代の私たちの商売は、こんな感じだと思います。
これからは、主観的な成果も大切にする。売上は成長したけど、自分がやりたいのはこんなことだっけ、とならないために。客観的な成果だけでなく、自分たちの商売における「良い感じ」がなんだろうとよく考える。(もちろん利益は重要!)
もちろん、「理念を掲げれば上手くいく」わけではない。理念を持った状態で日々の実務に取り組み続けることによって、「1つ1つの実行・1つ1つの判断の品質が変わる」という話です。時間の経過とともに「良い感じ」に近づくハズ。
これからは、競争激化・パワーゲームを回避すべく、大手と棲み分けるべく、主観的価値にも着目した運営をする。身体性を含むクラフト消費とか、顧客を細分化して支援するエージェント型ECなど。「お客さん側の柔らかい部分をよく観察し、寄り添っていく」ことが大切。小さくてニッチな市場を追っていけば、小さい市場故にシェアが上がるので、紹介が発生しやすい。その他、ネット技術の進歩により「引力」が発生しやすくなっている。
もちろん、「ニッチ戦略を掲げさえすれば上手くいく」わけではない。戦略を持った状態で日々の業務に取り組み続けることによって実行と判断の品質が・・(さっきと同じ話なので省略)。だから、実行が全てとも言えますね。
以上です。私はそんな事を考えています。全4回にわたる長話に付き合っていただいて、ありがとうございました。
さて。
せっかくここまで読んでいただいたことだし、これから、「自分の内面」にちょっとアンテナを立ててみてください。自分にとっての「良い感じ」ってなんだろなーと。コロナ禍ですから、引きこもる時間はありますよね。商売における「良い感じ」が何か、個人的・主観的な価値観が何か、両方を考えてみてください。多分その2つは似ています。
時代がどんなに変わろうが、自分の人生は「自分と共に生きていく」わけです。商売のセオリーがどれだけ変わろうが「自分が仕事する」「自分が経営する」ことは、この先もずっと変わりません。
次の10年に備えて、誰かの基準とか「これからの正解はコレだ」みたいな言説を一旦忘れて、「自分はどうなりたいのか」を内省して考えてみませんか。自分は元々どんな仕事をしたかったのかを思い出す。昔はどうだったか。今はどうか。。
もし「何か」がわかったら、それが向こう10年を支えてくれると思います。
変化の時代においても、「自分自身と付き合っていく」ことは今後も不変です。 変化の時代だからこそ、自分がどうしたいのか、どうなりたいのか、自分の「主観的な価値観をよく理解する」ことが必要です。
その構図は、自分の周囲にいる人においてもそうなので、自分以外の人の「主観」も理解してあげて、協調していければなお良いでしょうね。これはお客さんへの販売においても、スタッフや取引先と一緒に仕事する場面においても同じことです。
ということで、次の10年もよろしくおねがいします。
P.S.
私たちはこんな価値観でやっている「中小EC専門の顧問コンサル」です。売上や利益は大切にしつつ、それに加えて会社全体を「良い感じ」にするため、幅広いテーマで「壁打ち」と支援をしています。覚えておいて頂けると嬉しいです。
- 今後の方針や現状について、壁打ちして一緒に考える
- ヌシ化したパートさんをどうするか考える
- 夫婦経営の間に、通訳として入ってみる
- 本店の制作屋さんをどうするかを考える
- 専門特化や新商品などの「進路相談」など
他のコンサルや制作屋さんなど「特定領域の専門家」と連携する場面で、社外インサイダー的な立ち位置で入ることも増えてきましたね。
私達に興味がある方は、まずは、壁打ち的に色々話してみませんか?「将来どうなりたい」とか「今なにが気になる」とか大事にしたいことを引き出すお手伝いをします。その上で専門知識を使ったサポートをしていきたいと考えてます。
P.P.S.
オマケコーナーです!このシリーズ記事において、参考にした「知識体系」を紹介します。
尚、このくだりはマニア向けです。忙しい人は飛ばしてください。興味があるかたはどうぞ。
このシリーズは、「2021年以降の業界動向を考える」と言う名目で書きましたが、実際のところ、この2、3年位の私のブツブツ考えていた事柄のまとめのようなところもあります。そこで、多くの学びを頂いた方々、私が何を参考にこんなことを考えたのかについて、その一部を紹介していきます。
「知識体系」を学ぶ意味について |
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ここでいう「知識体系」とは、断片的な情報ではなく、概念や手法がひとまとまりになったものです。大雑把に言うと「△△というものは○○という構造になっている。だから□□という手法が良い」みたいな形式の情報でして、「□□という手法」の手前にある「○○という構造」の定義こそがポイントです。
雑に例えると「ココアが体にいい」という結論よりも「人体には炎症が起こりやすく、それが病気のもとになるが、食材で緩和できる。例えばココア」といった構造理解にこそ学びの本質があります。
みんな結論にだけ飛びつきますけどね。構造がわかれば、必然的に□□以外の手法が導きだせるようになります。構造がわかって初めて知識が血肉になる。
例えばSEOとかコピーライティングは知識体系ですが、「スーパーセールで反応を得やすいコピーの書き方」は手法です。皆さん手法が好きなんですけど、知識体系を学ぶことは「急がばまわれ」効果があります。いわば「魚をもらうより釣り方を学ぶほうが長期的に見て意味がある」ですね。
あともう1つ。「知識体系を学ぶ」意味は「新しい角度からのモノの見方」が身につく点にあります。言い換えると「知覚できるようになる」。「知覚が身につく」とは・・たとえば漠然とGoogleを使っていた人が、一旦SEOの知識体系を持てば、検索結果画面を見るときに「上位のサイトは相応の理由があるんだろうな」などと観察するようになりますよね。このように「概念が分かれば、知覚できるようになる」んです。
実際、思考の核心は知覚にある・・つまり思考の品質は、知覚(=見えているかどうか)で全然変わるという話がありまして(参考記事)、たしかにデキる人ってよく見てますよね。なので「知識体系」を学ぶと知覚力を向上できる気がしております。
そんな感じで、私は幾つかの知識体系を学んで「新しい見方」をいくつか身につけることができましたので、以下、学んだ体系を列挙して紹介します。先生方にこの場を借りてお礼を申し上げます。
※アルファベット順です。内容は私の解釈です。詳細は検索してくださいmm
ドラッカー思想 |
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ドラッカーという経営学者の知識体系。
ドラッカー思想の特徴は、まず「これからの社会と人間」を洞察し、機能する社会であるために、「組織(企業)はどうあるべきか」を考えている点です。企業が成果を挙げなければ社会も従業員も報われないので、「手段として」成果向上を目指す、という立て付けですね。ドラッカーから生まれた手法は色々あるでしょうが、たぶん、この思想の真価は、方法論よりも「あるべき像の解像度がUPして新しい知覚が身につく」点にあると思います。その観点でいうと「ドラッカー入門 新版」と言う本が、タイトルからは想像つかないほど深くてお勧めです。最近はドラッカー学会の佐藤先生の勉強会を聴講して大変勉強になりました。勉強を続けます。
EMS(エッセンシャルマネジメントスクール) |
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このシリーズ記事の中で、一番中核的な概念は「客観的価値と主観的価値が違う」といった話でした。これが中小企業の突破口になると思ってます。というのは元々から私が考えていたことですが、「現象学的還元」と言う哲学の考え方に影響を受けて、更に深まりました。
「現象学的還元」とは、客観性という捉え方を一旦忘れ、主観性を中心に世界を捉え直すという「物の見方」です。西條先生という哲学者が主催する連続講座「EMS」で学びました(現在進行系)。ちなみに、何年か前に西條さんが坂本ブログを読んだきっかけでご縁ができました。
この講座では、哲学を基盤にしつつ、色んな先生が出てきて、毎週資料を見て論文をたくさん読んで、講座を聞いて毎週レポート提出するので、咀嚼が大変で歯が折れそうですw 学生時代より勉強しているかも。現象学とか物事の原理をベースにし、その上に一貫性を保ちつつバリエーション豊かな学びを重ねていくことで、物事やマネジメントについての「捉え方」自体が深まるので、本質的で奥深く、面白いです。西條さんの本もおすすめ。
TBP(チームビルディングプログラム) |
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この記事にある「個人のそれぞれの強みや得意不得意をカミングアウトして、相互に調整していく」という考え方は、楽天界隈のEC業界ではとても有名な「チームビルディングプログラム」(TBP)という研修に学びました。研修が済んだ後、組織論とか色々ヨソで勉強してぐるぐる考えていたら、結局このプログラムで学んだ話だったという、お釈迦様の手のひらから出られない孫悟空の気持ちですw
研修内容としては、体を動かして実感して、参加者間で言語化してハラオチできて、知覚が身につきます(いまはオンライン化されているようです)。講師の長尾さんはチームビルディングの価値観を体現している人で、私の中では沢庵和尚(バガボンド版)です。
もうひとりの講師の仲山さんが分かりやすく「覚えやすい言葉」で解説してくれます。全般とても雰囲気がいいです。事例で紹介したヤッホーブルーイング社の文化も、元々このTBPに由来していて、やはり雰囲気がいいです。協調の神は雰囲気に宿るのかもしれない。講師おふたりの本もそれぞれおすすめ。
TOC(制約理論) |
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エリヤフ・ゴールドラットという科学者が作ったマネジメント理論が「TOC」。なぜかアルファベット略称3文字が続きましたが、偶然です。トヨタ生産方式を源流とします。そういえばむかし三木谷さんもおすすめしてたなあ。
工場に由来する業務プロセスの改善の話だと思いがちですが、深く学ぶと人間観や感情の扱い、「対立をいかに解消するか」といった柔らかいところもカバーしていて、応用範囲が広く、実践的です。
このシリーズ記事の執筆においては、「専門特化することは、オペレーション改善に甚大な効果がある」という話や、人々の対立や葛藤を解消しつつ具体的に連携するための手法が参考になりました。TOCは色んな人が教えていますが、私はゴールドラットジャパン社のTOC講座を受講しまして、先生方にたくさん質問しつつ、社員を巻き込んであーでもないこーでもないとやって大変でしたが、学びが深かった。わたし、TOCの国際資格をもらいました(嬉しい)。まずマンガ版がとっつきやすくておすすめです。
以上の体系は全て、協調して無理なく成果を出す、という目的を持っています。論理的なのに優しい、という特徴も共通しています。なので大きな学びをいただきました。
※アルファベット順で紹介しました。
日々の実践について |
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そして、一番参考になっているのは、コンサルや情報交換でお話しさせていただいているEC事業者の皆さんです。私が単なる勉強マニアにならずに済むのは、日々対話と実践の機会があるからですね。ありがとうございます。
特に、エージェント化や専門特化の話は、多くの方から決断の話や、「決断した後の幸せな商売」についてエピソードを聞くことができ、「これは間違いなく成功パターンだ!」と発見してあの記事を書きました。今回書いた、商売の有り様とか、内面の葛藤については、一部クライアントさんと一緒に考えたり壁打ちしたりした経験が生かされています。坂本が担当しているクライアントは全体のごく一部なので、弊社役員の川村や、コンサル部の面々とも話をして、皆でいろんな法則性を見つけています。
ちなみにクラフト消費とか、「原始人DNAが違和感を訴えている仮説」の話は全く畑違いの領域から発生してます。書籍「最高の体調」と言う本の中に、「人間は原始人と同じDNAなのに、現在的な食生活をしてるから体調が悪くなる」と言う考え方が出てまして(進化医学と言うそうです)、そこから「健康の問題だけじゃないよなぁ」と思ってこの話になりました。
ベストセラー本の「サピエンス全史」を漫画版で読んだんですけど、趣旨は同じですね。そういえば最近「生命科学的思考」という書籍が発売されまして、これも多分同じ趣旨ですね。これから読みます。「ヒトの身体性から考える」スタンスも、向こう10年の中心的価値観の1つになるはず。
昨今、時代の流れが早くて断片的な情報が次々に流れてきますが、振り回されてしまうので、腰を据えて「まとめて体系で学ぶ」スタンスが有意義だなーと思います。ここに書ききれませんが、他にも色んな体系に学びました。
そんな感じで色々勉強して対話して実践して、を繰り返しております。ご参考になれば幸いです。