こんにちは、坂本です。
以前、別の記事でお話しましたが、ありがたいことに、当社は2023年2月をもちまして、創業15周年を迎えました!
そこで今回は、私事での極みではありますが、私自身の半生を振り返り、創業前から現在までの個人的なストーリーをご紹介します。
時代は遡り、私の少年時代からお話します。振り返ってみると、少年時代にすでに「現在の仕事につながる性格的な傾向」が出ていたのだと思います。
少年から大人へ、就職、起業、組織運営…。言葉でいうと簡単ですが、順風満帆な人生を歩んできたわけではなく、様々な紆余曲折を経験してきました。しかし、どの経験も無駄ではなく、今の自分のあり方につながっているのだと思います。経営者の人生パターンにおける、ひとつの具体例として、気軽にお読みいただけると嬉しいです。
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得意を研ぎすませていくが、居場所が見つからない
「考えていること」を文章に書くのは得意。次第にパソコンにハマっていく
子供時代、私は割と内向的で内省的なタイプだったと思います。
小学校時代の思い出といえば、みんな校庭でドッジボールしている中で、私は1人で教室で本を読んでいるという、そんなタイプでした。
得意分野は、自分の内面や「考えていること」を文章にすること。
でも、もっと昔のことをいえば、小学校2年生ぐらいまで本当に作文が嫌いで、「作文=思ってもいないことを書かなきゃいけない謎のトレーニング」と思ってました。
ある時、作文が嫌いすぎて、もういい加減イヤになって、「僕はなぜ作文が嫌い(苦手)か」というタイトルで作文を書きました。そうしたら、その作文が大変褒められて、「これでいいんだ」と吹っ切れるようになり、文章表現が得意になりました。
ちなみにその「文章嫌い→文章得意」になったエピソードは、こちらのブログで詳しく書いています。
もともとハックするとか、工夫するのが好きな子供で、パソコンも好きでした。いわゆる、パソコンオタクで、中学校3年ぐらいに初めてパソコンを触りだして、それぐらいの時期からもうプログラミングを始めていました。
最初パソコンゲームをやりたかったのですが、高いので、自分でプログラムを書きました(マイクロソフトBASICという言語です)。本屋さんにプログラミングの雑誌が売ってまして、それを買いました。全部活字でプログラムが書いてあるので、キーボードで1文字1文字打っていくということをしてました。いまならコピペで一瞬どころか、ChatGPTが代筆してくれますけどねえ。当時はインターネットがないので、、
そうやって、自分でゲームを作ったり、ゲームを改造したりというようなことをしていました。中学時代はパソコン部で、文化祭の時にゲームセンターを作ったりもしました。
「格闘技オタク」の個性が、インターネットで生かされる
パソコン好きなのは変わりませんが、高校から大学時代にかけて、空手にはまっていきました。パソコン部で、かつ、空手に夢中。言ってみれば単なる「格闘技オタク」です。
大学に入った頃は、ちょうどインターネットが広まり始めた時期でした。ダイヤルアップ回線とInternetExplorerとヤフーでした。友達と「Googleすげえぞ」という話をしてましたねー。
そして勉強が好きすぎて(嘘)大学に5年行くことになった私は、インターネット上に格闘技をやっている人たちが交流する場所を企画したり、「格闘技やスポーツ用品を売っているおすすめのお店のリンク集サイト」を作ったりするようになりました。当時、空手の監督に「空手着はここで買いなさい」と指定されたりしていたのですが、平日しか買えないお店だったり、場所が遠かったりで非常に不便だったのですね。
だから、1999年に楽天でその空手着が売られているのを見つけたとき、同じように「困っている人に教えてあげたらいいのではないか」と思って、ホームページビルダーとHTMLを覚えてサイトを作ってみました(もともとプログラムを書いてたので苦労しませんでした)。そうしたら、それが小学館の雑誌で紹介されまして、関根勤が認める「日本の格闘技サイトベスト10」に2位と7位に入った、ということもありました。1位はカマキリ拳法のサイトでしたから、実質日本一ではないかと!
※ちなみに私のブログ名「ECバカ一代」はマンガの「空手バカ一代」からつけています。私がやってた空手は松濤館流なので、作中では極真と敵対してた感じですがw わからない人スイマセン。
一方「対人関係」への苦手意識が顕著になる
そんな感じで、私は工夫することは得意でしたが、対人関係があんまり得意ではなく、友達はいても、クラスでは浮いていました。特に高校で。
当時は「オタク」という言葉が生まれたばかりの頃。「オタク」って、今では全然悪い意味ではなくて、なんなら良い意味にとらえられますけど、その頃は、変質者寄りの本当に悪い意味でした。私の田舎は高知県で、某保守的な高校に行きましたので、そこでは「オタクオタク」と言っていじめられてしまうわけです。
だから「迫害されない所に行こう」と思って、東京に行きました。東京の大学に行って、ホームページを作ったり、空手をやったりしていたのですが、やっぱり対人関係とかしゃべるのは苦手。
面接も就活も全然うまくいかず、「まあ、いいや」と思ってパソコンで遊んだりしていました。人と関わりたい気持ちはあったのですが、それがうまくいかないので、パソコンをいじっていた…みたいなところはありました。
就活を苦戦した挙句、某ITベンチャーに潜り込んだので、色々頑張ったのですが、業績悪化にともなって、結局リストラをされました。今でいうレイオフです。そんな散々な時期を経て、私は楽天に拾われました。面接して、なぜか採用されました。
やっと見つけた、自分が活躍できる場所
楽天に入り、PC力と文章力で人に貢献して感謝される
楽天に拾ってもらうまで色々ありましたが、楽天に入ってすごく良かったのは、PC力と文章力を使って人に貢献することができて、大変感謝されたということ。
「人生でこんなに褒められたことはない」というぐらいに、楽天に入ってからは褒められました。今も言われますが、楽天の当時の仲間は、僕のことを仕事ができる人と誤解していたように思います。
私からすると、それまで全然うまくいかなかったいろんなことが、ここでようやく日の目を見たという感じで、その時は天職だと思いました。ようやく「自分が活躍できる場所が見つかった」と感じました。
人間らしい生活や商売…わからないことは人から教えてもらった
ただ楽天でやっていく中でもいくつか課題がありました。
まず、ひとつめは、しゃべるのが苦手で営業ができないという問題。
自分の得意分野を使った、自分なりのスタイルを確立することで、なんとかできるようになりました。いろんなオタク的な工夫によって、上手な営業トークができないままでも、たくさんお店の人に信用されるようになりました。
詳細は別のブログ記事に書きました。以下の記事の、「ムリから始まり、目標を達成した話」のところですね。
ふたつめは、私は何しろ凝り性で、自分の興味あることは突き詰めるものの、世間の一般常識的なことが弱いという問題。
たとえばお中元とか、お歳暮とか、「世の中の人が何をどう買う」みたいな人間らしい生活については、あまりよく分かっていませんでしたw 当時つき合っていた彼女は、今の妻でもあり、当社の役員でもある川村なのですが、彼女に人間らしい生活について教えてもらいました。ECはやっぱり人々の生活に寄り添う仕事ですので、人の営みが分かってないと仕事にならない。そこを教えてもらいながら工夫して、なんとかECの仕事をすることができました。
あとは、私はパソコンオタクなので、パソコンを使ってお客さんや店舗への貢献はできるけど、「商売とはどういうものなのか?」について、よく分かっていませんでした。「仕入れ型とメーカー型があって」とか「粗利が高い商品と低い商品があって」とか、そういった商売の実態については、お店のみなさんにいろいろ詳しく教えてもらいました。
今はコンサルティングをしてますけど、当時はそんな感じででしたねー。。
要は、この時期は、パソコンと文章が得意で、あとは分からないことばっかりでしたが、色々と教えてもらって、何だかうまいことハマって、すごく褒められて調子に乗っていました。この辺りの当時の話は、当時のEコマースの10年ぐらいを振り返った記事があるので、当時の空気感に興味がある方は、読んでいただけると面白いかと思います。
中小企業の社長に憧れて、独立
楽天でいろいろ褒められたりもするのですが、仕事の中でも社内向けの仕事と店舗さんとの仕事があって、社内向けの仕事があまり好きではありませんでした。
「好きではない」というのは表向きの理由で、結局、単に苦手でした。
本当はすごく大事なことだと思いますが、「上司の意向を理解する」とか「会社の方針を理解する」ということが、いまいちうまくできてなかったんです。お店の意向とかお店の事情を理解するのは得意でした。
あと、中小企業の社長さんを「カッコイイなあ」と思って、「エリートビジネスマンより、中小企業の親父になりたい」と言って、退職しました。
独立して、最初はうまくいきました。
会社を設立した時は、ランディングページ、商品ページの制作をするつもりで「コマースデザイン」という会社名にしました。しかし、やっていくうちに「コンサルティングの方が面白い」と思うようになり、コンサル屋に切り替えました。
楽天時代は非常に成績もよかったですし、ため込んだノウハウもあったので、それを使って本を書きました。
「黄色本」と呼ばれる本で、2010年に出版して、これが非常によく売れました。
盲点が仇となる
マネージメントを失敗し、人が大量に退職する事件が発生
黄色本を出して、たくさんコンサルティングの依頼が入るようになり、今から10年ちょっとくらい前に、コミュ障のくせに「これはもう、コンサルタントの社員を入れた方がいいのではないか」と妻と相談するようになりました。
そして「これだけ需要があるし、我々には貢献できるノウハウもある。ノウハウをカリキュラムにまとめたことだし、これがあれば、私たちじゃなくてもコンサルティングができるはずだ」と言って、コンサルタントを何人か雇用しました。これで最初はうまく回っていましたし、支援先の売上が伸びるということも多々ありました。
しかし、とにかく私のマネージメントが駄目でした。
人間関係のことが完全に盲点になって、組織が崩壊してしまい、「人が大量に退職する」という事件が発生。
当時のクライアントさんに、「人がいなくなったんで、すいません」と一回一回電話しながら謝って、解約していくということをしました。
その時にクライアントさんから、結構励まされたのはありがたかったですね。
コンサルタントは辞めてしまいましたが、入ったばかりの若い子が1人だけ残りました。そこで「この若い子をいっぱしのコンサルタントにせねば!」と思って、そこから、ちゃんと人を見るようにして、お昼ご飯に一緒に行って面談をするようになりました。
カリキュラムだけでなく、人間を見るようになり、対クライアントに関しても型通りのコンサルティングではなくて、なるべく人の話を聞くようになりました。この時のことが原点となり、今では「壁打ち」という段階までレベルアップしています。
「コンサルタントって何だろう?」とか「人の成長って何だろう?」と、採用もすごく工夫しましたし、この辺りで大分経営者っぽくなってきました。しかし、ここから、もう1回失敗します。
見えているところはピカピカ、でも見えていないところはボロボロ
会社のメンバーに一応相談はするのですが、結局、自分の感覚で何もかも決めていました。
ここで問題になるのは、盲点だらけで、強力な苦手分野のある自分が決めようとするとどうなるか?盲点がある人が、全部を上手に整えようとするとどうなるか?ということ。
人間はみんな何かしら盲点があるものですが、特に盲点が大きめの私のような人が、「自分の感覚でキッチリやろうとするとどうなるのか」というと、自分が見えていて、意識を向けている箇所は、もうピッカピカの気にしすぎるぐらいにやりますが、それ以外の箇所がボロボロになってしまうのです。
例えば、文章の「てにをは」とか細部のチェックはすごくがんばるから、細部では正解する。そして、こっちやあっちの細部では、正解する。
でも、きっちりと完璧にしている細部を足し合わせたら、全体のバランスはどうなるかというと、部分的な正解を足し合わせると、全体的には不正解になっているということがよくあるわけです。
その辺で、なかなかうまくバランスが取れず、足踏みするような期間が長く続きました。
サポートされていることに気づけない
思い返してみると、以前の私は自分の得意分野である「文章」とか「工夫すること」を使って、相手の苦手分野を攻撃するようなことをしていました。
「攻撃」という言い方は強すぎますが、「ここは、もうちょっとこうした方が分かりやすい」とか「ここは、もっとこんな工夫ができるはずだ」という感じで、アドバイスしたり、指摘したりしていました。
「自分の得意分野を使って、部下の不得意分野を指摘する」というのは、上司の典型的な挙動です。でも、そんなことをしていると、相手が自分をサポートしてくれていることに対する感知が遅れてしまう。
自分の不得意分野に対して、相手が得意分野を使ってサポートしてくれるケースもあるけれど、「自分が正しい」と思っているから、サポートされていることにさっぱり気づけないということが起こっていました。
自分の感覚だけで経営しない
人それぞれ別々の宇宙を生きている
自分の感覚が成熟したのか老けたのか…。比較的最近になって、大分落ち着いて、得意・不得意のバランスが取れるようになってきました。
きっかけは、まず自分の不得意分野とのつき合い方がなんとなく分かるようになったこと。自分ではない他人の主観的な世界を想像したり、洞察したりするようになりました。
他者の主観を洞察することは大事です。自分と同じように、誰しも得意と不得意があるのだから。
例えば、私はパソコンやITのガジェット類が好きで、使いもしないIT系の便利な道具を買って喜んでるタイプで、妻がプチプラのアクセサリーをたくさん買うと「何でそんなもん買うのか?全部同じじゃないか」と思ってしまう。でも、あっちから見ると、私の無駄ガジェットも似たようなもので「そんな使わないもの集めて、どうするんだ」と見えるわけです。
あるいは、自分にとっては「そんなの仕方がないじゃん」とか「どうでもいいじゃん」と思うことに対して、すごくストレスを感じる人もいる。予定通り進まないことについて、すごくストレスフルに思う人がいますが、私はそこまでストレスを感じません。でも、役所の書類とか、どういう理由があるのか分からない冗長な文書には、ものすごくストレスを感じます。
こういうときに、「全然別の現象だけど、あの人にとっての『このフラストレーション』は、自分にとっての『このフラストレーション』と同じなのかも」と想像してみることで、人の気持ちが想像できるようになりました。
- 「自分が役所の書類を見て、『何か嫌だなあ』と思うのと、物事が予定通りに進まないことに対して『嫌だなあ』と思うのと、嫌なことは全然違うけど、その『嫌だなあ』という感覚は確かに分かるかも」
- 「プチプラのアクセサリーを自分は全然ほしくないけど、ガジェット買って気分がアガるような、あれと同じ気持ちなんだったら、全然違うものだけど、なんとなく分かるな」という風に。
このように、私は「自分と違う別々の宇宙がそれぞれの人にあって、その人は、その人の感情とか好き嫌いを生きてるんだよなあ」と思うようになりました。それぞれで起こってることを外から見ると全然違うものだけど、「中で起こってる感情は通じ合えるものがある」と、だんだん思えるようになりました。
自分を俯瞰して見れるようになった
そういう風に人を見るようになってから、同じ目線を自分自身に向けてみると、盲点の存在に加えて、焦りや不安、「うまくいくはずだ」とか「うまくいくはずなのに、うまくいかなくて嫌だ」といった感情からフラストレーションが発生していて、それによって動かされることが割と多いことが分かりました。独立して経営するという仕事自体が、不安感を生みやすい構造にあるというのもありますが….。
「誰かの出来の悪い仕事に対して、指摘をする」というのも、自分が持っている何かの眼鏡が、「出来が悪い」という風に見せているし、自分の中の「指摘しなければ!」と思う気持ちが、自分にそういう挙動をさせているということ。不安や焦りの気持ちがこうした言動を生んでいたのです。
また、同じことを他者に当てはめてみれば、「そんなんじゃ駄目だ」と言っている人がいても、その人なりの理由があるのかもしれない、「過去の経験とか現状の立場とかいろんなことがあるんだろうな」とに思えるようになりました。
このように物事を捉え直すことができるようになって、具体的な解決にはならなくても、自爆が減りました。
細かい指摘をするのではなく、指摘したくなる自分の気持ちをまず観察するとか、「なんか、この人間違ってるなあ」と思う言動があったなら「間違ってるなあと思う自分の感性・感覚はどういったものに由来しているのか?」と、まず自分に矛先を向けてみたり、相手の表層の現象を見てすぐに判断するのではなく、「その人に、そういう風な言動を取らせている過去の経緯とか事情は何だろう?」という風に洞察したりするようになりました。
結果的に、自分と他者の背後関係を見るようになって盲点が減ったのかもしれません。
「自分がこうしなきゃ」の思いが盲点を産むし、「自分に見えてない所を他人に見てもらうという動きも、当然すべきだな」と自然と思えるようになりました。
「自分の感覚」だけで経営しない
世の中でよく言われる「人に仕事を任せなければいけない」「権限委譲が大事である」というのも、以前は情報として理解していました。本当に時間が掛かりましたが、いろんな経験を経て、ようやく腑に落ちて、いろいろなことを手放せるようになりました。
「違和感がある判断だけど任せる」というのも、「違和感がある」という風に感じている自分の眼鏡があるわけですし、相手側にしか見えてないこともあるだろうと。
また、「そこは、これやっといた方がいいんじゃないかな」と思っても、あえてほったらかしたりする場合もあります。もちろん必要な対話はしますが、根本のところで、自分の感覚だけで経営しないようになりました。
ただ、任せるに際して、「任せて自分がラクになりたい」心理が先に立つと危ないかも。経営責任は全部社長に掛かってくるので。とはいえ自分がハンドルを握る副作用もありますから、「手を離して目を離すな」みたいな塩梅なんですかねー。
ところで、良いことなのか悪いことなのか分かりませんが、最近の私は、年齢的なものかもしれませんけど、自我とか「生き残らねば」みたいな感覚が少し薄くなってきました。それによってバランスが良くなったのかも。切迫感に突き動かされて動くのは、たぶん生き物としてはすごく力強い生命力のある動きだと思いますし、価値があると思いますが、私はそういう状態から、ちょっと変わってきたかもしれません。
まとめ
最後に、今回の話のポイントを、前回の記事「経営者の人生における4つのステージ」に合わせて、おさらいします。日頃よくお話する経営者の方と自分を比較していても、結構似たようなパターンがあるなと感じています。
ちなみに、私の周りには突出した販売力や企画力がある社長さんが結構多くて、管理能力に長けた社長さんというのは、あまり見ません。
結果、同じようなパターンになりやすいのではないかと思います。
- ステージ1「得意とか苦手が育まれる時期」
- 子供の頃、学生時代、社会人の初期段階があり、そこで自分の特性や得意を研ぎすませていく
- また、「物足りない」「もっとこうありたい」という飢えのようなものが発生する
- ステージ2「得意分野で成功する時期」
- ステージ1で育んだ得意分野を使ってヒットを生み、成功する
- 起業後の最初の成長時期であり、ここで自分が感じていた物足りなさが埋められる
- ちょっと調子に乗る
- ステージ3「苦手分野の逆襲時期」
- 組織の中で問題が表れる。その背景にあるのは、自分の苦手分野が見えていない「盲点」
- 苦手分野は、「やることが苦手」なのではなく、感じ取ることができず、本人の感覚にないもの。
- 感覚にないものは「土壌がないので種の植えようがない」ということでもあり、当然スキルの習得すら困難
- 苦手分野に足を取られても、ステージ2でがんばってうまくいった経験があるので、ステージ3でもがんばって何とかしようともがく
- 「もがいては空回りを繰り返す」ような時期がしばらく続く
- ステージ4「苦手と折り合いをつける時期」
- 自分の苦手を諦めて、自分の感覚だけで経営しなくなる
- 自分の直感的な感覚に対して、「いや、そうとは限らないな。なんで自分はそういう風に思ったんだろう」と捉え直せるようになる
- 「権限委譲」「人に任せる」「人の感覚で運用する」ができるようになる
「任せるのが大事」と世間ではよく言われていますが、そんな簡単なことではありません。それでも、今回申し上げたような考え方に沿ってみると、「やっぱり、自分の感覚だけで経営することは危ない」と思います。
ということで、今の私はステージ4の段階。自分の焦りが若干柔らかくなって、平穏に商売ができるようになりました。が、この先に何が起こるかは分かりません…。
人生でつまづいた時、閉塞感を感じた時、経営で悩んだ時など、どなたかの参考になれば幸いです。
P.S.
なんやかや書きましたが、これらは自問自答で出したわけではなく、この多くは、妻かつ役員の弊社川村との問答から得られた感覚です。あとは、社内のメンバー含め、色んな人からいろんなことを学びました。やっぱり、自分だけで考えてもうまくいかないですね。
弊社コンサルタントは第三者的な壁打ち相手として、経営者やリーダー、それぞれの状況に寄り添いながら課題を整理し、着実に問題解決に向けて進めるよう、しっかりとサポートします。ご興味がある方は、以下ページをチェックしてみてください。
カテゴリー: EC事業の組織論