こんにちは、川村です。仕事が大量にあって、保留や後回しがどんどん増えて、把握できないほど散らかって、「なんでこんなやりかけの作業が多いのか」「どれも完了してない」なんてことはありませんか。
今回は「散らかしてしまう心理」を自己観察しながら、「散らかさない方法論」について考えてみます。
仕事が散らかっていませんか?
仕事が大量にあって、しかも散らかって、全然進まない。
計画を立てるときは楽観的だけど、気が付くと保留が増え、後回しが増え、〆の引き延ばしが増え、どんどん溜まって、「なんでこんなやりかけのタスクが多いのか」ということはありませんか。特に、自分のデスクがもので埋まっている人は、この傾向があるのではないかと思います。いかがでしょうか?
私自身は、仕事ではそういうことは少なめですが、プライベートは、かなり散らかっていました。(無論、デスクは物だらけです)
自分の部屋が「開かずの間」状態に
お恥ずかしい話ですが、自宅の自室が、「洋服で足の踏み場もなくなる」程の状態だったのです。ちなみに家族が過ごす他の部屋はまあまあ片付いており、自室だけを放置していました。なぜなら、この部屋が片付かなくても私以外困る人はいないからです。
2年前に出産し、それ以降、あれやこれやで片付けを後回しにした結果、末期的な状態になりました。もちろん、毎日着替えますから、部屋は使っていますが、片付けることができなかったのです。
ついにこの年末、重い腰を上げ、一年発起して片づけました。やれやれ。数週間かけて、洋服をしこたま捨てました。少なくとも200着は捨てたと思います。ゴミ袋にして累計15袋は越えていましたね。おおごとでした。
一体なぜ、こんなことになったのか・・。
片づけ上手な人が語るノウハウと違い、私は実際に部屋をここまで散らかした当人として、「散らかしてしまう心理」を深く深く理解しています。
そこで今日は、恥を忍んで、「散らかってしまう心理と対策」について書いてみます。皆こんな身を切った話はそうそう書きたくないでしょうから、貴重な情報です。多分・・・
※初めましての方へ:私こと川村は、コマースデザイン(株)の役員をしています。コンサルティングチームを中心に、会社全体のもろもろを見ているのでMTG参加が社内一多い人間です。2歳の息子がいるため、毎日保育園→会社→保育園という生活で、帰宅後はよく寝落ちしています。
仕事が散らかる原因
「普通、もっと早く片付けるでしょう」
誰だってそう思いますよね。
でも、私はそうできなかった。それはなぜか。
理由は大きくこの4つ。
- 環境の変化で、服が増えた
- 「捨てる判断」を後回しにした
- 散らかりすぎて、判断能力が低下
- 「困るのは自分だけだし」と言い訳
※「服」を「仕事」に読み替えると、タスク管理のお話になります!
環境の変化で、服が増えた
普通、着心地にせよ、色にせよ、「自分が着たい服」の基準があれば、それに該当しないものは買わないですよね。
2年半くらい前の妊娠をきっかけに、
- 妊婦用の服が増え、
- 産後授乳用の服が増え、
- ママっぽい服が増え、
- 仕事に復帰し、キャリアっぽい服が増え、
・・と、服が増えていきました。
今思うと、その時私には「着たい服」の基準はなく、自分が「どうあるべきか」でなく、人から「どう見えるか」を基準に設定していました。受け身だったわけです。
例えば、子供を連れて公園や児童館などに行く際、どんな格好なら浮かないかとか、仕事で外出する際、会社がちゃんとしていると思われるにはスーツでなければダメだろうとか。
自分だけであれば、どう見られても良いのですが、「子供の親として」とか「会社の役員として」の自分は、もはや個人ではありません。
気がつくと自分の「役割」はドンドンと増えてきており、その役割に見合う服を買い漁り、それを着てはその役割を全うしようとがんばっていたのだと思います。
そして、服を増やす一方で、ほぼ捨てることはありませんでした^^; 古い服を捨てずに新しいものを買い足せば・・そりゃあ増えますよね。まあ、これが一番の原因ですね。
「好きで買っている服」なら、もっと捨てやすかったのですが、おそらく服が「役割を果たすために必要な道具」のような意味を持ってしまって、捨てる心理にブレーキがかかっていたのかもしれません。「捨てられない心理」の裏には、「無意識の意味付け」があるのかも。
※ちなみに昔は、比較的派手目というか、アバンギャルドなものが好きでした(ヒョウ柄とかメタリックとか面白い絵柄とか・・)
「捨てる判断」を後回しに
更に、捨てられない原因として、もうひとつ。優柔不断さがありました。
役割を全うするために服を買うのだ・・とはいえおしゃれを意識しない人だと思われるのは嫌だな。という気持ちから、流行のプチプラ服を安さに任せて沢山買ってしまったり、「次の流行がそろそろ来るからその時に着られる!」と、過去の自分が選んだおしゃれな自分に見せるためのアイテムを取っておいたり。
・・痛い。自我がすごい。服に「役割を果たす道具」だけでなく、「自我」を投影してしまって、余計に捨てられなくなるわけです。1回しか着ないような服も当然多発します。
そして、手持ちの収納に収まらない服達は、タンスの上など、空きスペースに積まれていきます。収納から溢れた洋服たちが重なり合って、まるで落ち葉のように堆積していきます。
すると洋服一枚一枚の存在感は消え、「山」になります。下層にあるものはもう見えません。つまり、全体の把握が不可能になります。
多分これも仕事と同じです。1つ1つの作業が積み重なりすぎると、それは、1つ1つの仕事ではなく、「山」にしか見えなくなります。「服の山」も「タスクの山」を分解するのは大変なので、更に「触るのが後回し」になります。
そうなってくると、実は持っているものでも、見えないし思い出せないので、「あれがない。買わなきゃ。」と、更に買うという事案が多発。特に靴下とか長袖Tシャツとか。。持ってるのに!
散らかりすぎて、判断能力が低下
役割を果たすためにいろんな服を買うし、でも「おしゃれを捨てたくない」から昔の服も捨てないし、そうすると服が山になって、よくわからなくなってきた。そして、忙しい。毎日バタバタです。
頭のほとんどが子供と仕事で占拠されているので、片付けには、脳の3%くらいしか使われません。すると、要るものも要らないものもわからない。自分でもなにを目指しているのかわからなくなり、完全に迷子になりました。
挙げ句の果てには、
- 産前産後で体型が変わって着られなくなった服を「またそのうち着られるようになる」と取っておく
- 「大は小を兼ねるし、ゆったりしていてラクだから」と、産後もマタニティウエアを捨てない始末
マタニティじゃないんだから、マタニティウエアは必要ないだろ!<自分
体型だけでなく、思考も残念なことになっていたようです。。
年も取っているので、若い頃に買ったものは明らかに似合わなくなっている服もあるのに捨てない。人からもらった服も、好みと違っても「好意をむげにできない」ので、捨てられない。
服が溜まれば溜まるほど、前述の「山」を分解して処理するためのコスト(手間)は大きくなります。
が、脳の3%しか余力がないため、山は大きくなる一方。・・日本の借金と同じですね!書いてて泣けてきました。
「困るのは自分だけだし」と言い訳
私は、「自分がなりたい状態に近づく」よりも、人の困りごとを解決したりする方に喜びを感じるほうです。人のフォローなら上手にできるんですけど、どうも自分のことで「困るのは自分だけ」という事柄は、後回しになる傾向にあります。
言い訳ですが、「仕事以外の時間」を仕事、育児、家事に振り分けると、余りはありません。私の中では「自室の片付け」というタスクは、家事ではなく、「自分のための時間」扱いです。
つまり、私は「自室の片付け」というタスクを、完全なプライベートタイム=手が空いた時間に行う、と位置づけていたわけです。
1日24時間から、仕事、家事、育児、食事や睡眠時間を引いたものが、完全なプライベートタイムとなりますね。
だが、そんな時間はそもそもない!
そう!もうおわかりですね。そもそも、「存在しない時間」に割り振ったタスク。。。
そりゃ引退でもするまで、片付けられる日は来ないだろうよ。バカバカバカバカ自分のバカ。
仕事を山積みにしないための対策
ここからは、再発防止策について考えます!
「山」になる前に対処する
他に大事なことがあるから、と忙しさに任せて目をつぶっていたら、つい放置しすぎて、蓋を開けてみたら、大変なことに。よくある話ですよね。
とくに「山」になると、処理の難易度が上がってしまいます。
服もタスクも同じですが、一定以上の量になると、塊化して見えなくなって、地層化して腐葉土になってどんどん新しい問題がその腐葉土から芽生えたり、どこから手を付けていいかわからなくなります。ものが少ないうちは片づけるのも簡単ですが、増えてくると本当に対処が困難になります。
だから後回しでいいや、という姿勢は実は問題解決の難易度をどんどん上げていると言えます。
「いつか時間ができたらやろう」というのはナシで!皆さんご存知のように「いつか」は絶対に来ません。いつかやろうはバカ野郎、という言葉があったかと思いますが、まさにそれ。
だから、「いつか」を待たず、「山」になる前に、状況の振り返りをする時間を、定期的に作る。言うのは簡単ですけどね。。
自分を大切にする
私はどちらかというと、「周りの動きへの反応が早い」ほうです。社内の状況にも敏感な方で、視界が広いとかフォローが早いといわれます。ただ、冷静に考えてみると、「小回りが利く自分」は「受け身」とも言えるようです。
自分がどうしたいか・どうありたいか、よりも周りから来た状況に対して反応することを優先していたように思います。
自分の中でバランスを取ること、体勢を整えることを後回しにして、とにかく反応して回転レシーブをしていました。「とりあえずこのボールを返す」「体勢を整えるのは後で」。
拾えることは拾えるのですが、怪我や痛みを厭わないので、たまにすごいアザを見つけて驚く(しかも、それを見ると痛いことに気づく)ことも多いです。
ただ、そこまで何もかもに反応することは無かったかもなあ、と思います。
自分のバランスを崩すと、何か致命的な事態が起こって、周りの人に迷惑をかけてしまうことにもなりかねませんよね。
「自分の優先順位」をもう少し上げて、誰かから何かリクエストされても、多少、後回しにするのが良いかもしれません。対応しなきゃ!というのは結構思い込みで、放っておいてもなんとかなるものです。
「反応する」より「体勢を整える」
当社のクライアントさんを見ても、知り合いの店長さん達を見ても、こういうことは非常によく起こっています。(やっとここで当社ブログっぽい話に!)
例えば楽天さんの求めに応じてスーパーセールやらイベントの企画やらに乗って、的確に対処するんだけど、自店舗の内情は「割と散らかったまんま」だったり。
これもやっぱり私と同じで、レスポンスするのは早いものの、「自分がどうありたいか」ついては後回し、という心理からではないでしょうか。私が服をやたら増やした心理と似ています。
お客さんから望まれたり、周りのお店になんとなく合わせたりして、いろいろと商品を追加したり、サービスを増やし、時代に乗り遅れないためにサイトのデザインを変えたり、にぎわいツールを入れたり・・・。
あれこれ手は動かすものの、「時間がないと着手できない未着手の案件」はどんどん膨れあがっていく。例えば、お店のコンセプトとか、値付けとか自分の働き方とか考えたり、見直すのは、時間があるときに・・・と後回し。
たまたま飛んできたボールを、「自分の使命」かなにかと誤認して、全力で応えようとしてしませんか。
本当に大切なのは、「自店がどうあるべきか」を決めることではないでしょうか。
それが定まっていれば、「自分のできるコレで勝負する」ことが明確になれば、求めに対しても「いたしません、できません」って言えるんですよね。
「自店がどうあるべきか」という軸がないまま、優先度の見直しもせず毎日の優先タスクをこなしていくと、結局他のどこかの店と同じ店になっていってしまいますよね。
まとめ
まわりからの刺激に対し、むやみに反応しない。
自分のことを後回しにしない。
「とりあえず、このボールを拾う」「自分のことは後回し」などと言っていると、滞留した仕事や服が「山」になってしまい、あとから大変な労力を払うことになるかもしれません。
周りからの期待に応えるよりも、自分がどうありたいか。どうあるべきか。 長期的に見たら、そのほうが期待に応えられ、より大きな役割を果たせるはずです。
いやー、私も、仕事の上では、店舗コンセプトのようなキャラ立ちのアドバイスを散々してきたし、得意な方だと思うのですが、自分のことになるとダメですね。
「自店のキャラ決め」を後回しにしてきた皆さん。「自分はどうありたいか・あるべきか」を、私と一緒に考えましょう。
PS
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この記事を書いた人
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コマースデザイン株式会社 取締役 コピーライター/コンサルタント
ライターからEC業界に転身。商品コンセプト立案やキャッチコピーなど「売れないオリジナル商品」の立て直しを得意とし、ヒット商品を多数企画。中小規模の店に対してわかりやすいコンサルティングを提供しつつ、講演や寄稿も行う。黄色本・マンガ本の著者でもある。
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